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2008年6月20日 (金)

句集「奈良町」

白魚火(しらをび)同人であった伊藤 徹氏の奥様から、徹氏の遺句集「奈良町」を頂いた。

句集名となった「奈良町」は、同誌仁尾正文主宰の序文に依ると「奈良町は町名ではない。奈良の町が京都へ移り、平城京は草原となってしまったが、残された諸大寺が学問寺として発展。……現在奈良市民が奈良町と呼んでいるのは、南部地区の薬師堂町、毘沙門町、元興寺町等々歴史の名残を思わせるような多くの町で、
  路地に水打って奈良町暮れにけり  徹
の句が示すように庶民的な雰囲気が残る一劃である」と記されている。

Photo_3 徹氏と始めて会ったのは、平成12年の明日香への一泊吟行で、以後平成13年の東近江一泊吟行、更に伊賀上野への日帰り吟行でその都度徹氏は参加されていた。

奈良にお住まいの徹氏は、浜松の句会へ都度手紙による投句をされていたが、句材の豊富な奈良町に近い所とあって、神事・仏事にからむ諸行事や歴史的な遺跡遺構を巡る句が多く寄せられ句友を喜ばせていた。不幸にして病を得て、本句集が「遺句集」となってしまったのは返す返すも残念である。
奥様から寄せられた「あとがき」や仁尾主宰の「序文」、更には句集を読んで一本筋の通った徹氏の生き方を感じる。そう言えば徹氏は、剣道5段で錬士の称号を持つ。

自然やつい見逃してしまいそうな身ほとりを、かくも感性豊かに捉え、表現力豊かに、
    十分もかからぬ宮に梅を見に
    訪らふは風のみならん枯蓮田
    風鐸の舌のきらめき夏落暉
    一炊の間や宍道湖の冬の虹
    お祓ひをまちて駆け出す水着の子
    初詣遠き神より近き寺
俳句を詠む人にとっては一度は行って見たい神事祭事は奈良には多い。徹氏は毎年こまめに足を運んで詠んでいた様子が窺える、
 薪能を楽しんで、
    今し舞ふ薪御能は田村らし
    急調に入りし羽衣薪能
    薪能火勢なだむる水箒
 修ニ会を詠んで、
    戒壇院修ニ会別火の札かかり
    漆黒の闇に炎の瀑お水取り
    松明の回廊駆くるお水取り
 春日大社の神鹿の角切をリアルに描いて、
    勢子の追ひ泡ふく鹿の走りづめ
    勢子四人組み敷く鹿の白目むき
    角を切る鹿にあてがふ白まくら
    角切の幕間に控へゐる獣医
 行事の都度足を運んだであろう、
    山焼きの神事を差配春日禰宜
    献餞の黒酒白酒(くろきしろき)や百合祭
    大仏のみ手に移りてお身拭ひ
明日香は歴史の宝庫、そのかみの歴史に関心のある人にとっては垂涎の場所でもある。徹氏と始めて会ったのも明日香、
    駿河なる人待つ丘に瑠璃来鳴く
は、浜松からの私たちを待っていた時のものであろうか、
    甘樫の丘にたちみる青田かな
    楊梅の実を万葉の葉盛膳
万葉の葉盛膳は旨かった。
伊賀上野は高石垣で有名な藤堂高虎の上野城や芭蕉の俳聖殿でも著名な所、
    吾も過客よき句をたまへ伊賀の秋
    蕉翁の謦咳と聞く庵の虫
奈良町は直ぐ近く、
    鑑真廟鳥たつたびに木の実降る
    径せばめ萩咲きさかる白毫寺
    路地に水打って奈良町暮れにけり
    虫籠窓残る奈良町片かげり
親子家族関係の情愛も深く、又自分自身の来し方行く末を考え、
    父母ましてこその故郷山桜
    白牡丹盛りの縁に母と座す
    うそ寒や父あやふしの報来る
    さはやかや離れ住む吾を待ちて逝く
    戒名は一徹でよし初紅葉
    人恋ひつ一人酌みをる除夜の酒
    けざやかな百日紅や母まさず
    歩まねば弱る足腰秋暑し
思わぬ病魔に襲われながら、ご自分の生き方を貫き通す姿には感動する、
    伴はれそのまま入院夏立つ日
    気がつけば病床にあり青簾
    文月や世に忘らるる心地せり
    秋ゆくと言葉に出してわびしめり
    明日ある証なけれど日記買ふ
    括られて矜恃くづさぬ冬の菊
冬の菊の句は、徹氏の生き方を端的に表わしている。

句集の中から拾い上げた句を読み直してみても、あの当時の徹氏の事を彷彿と思い出され懐かしく、思わず胸が熱くなった。

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