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2008年6月20日 (金)

何かのご縁

信州の別所温泉で、6月17・18日と一泊二日の同級会があった。
その席で6月17日(火)の信濃毎日新聞に、同温泉の北向観音に関して、次のような記事が載っている事を聞いた。18日はその観音さまにお参りする日でもあったので丁度時宜を得た新聞記事であった。記事は次の様である。

『半田孝淳天台座主と、弟の清水谷孝尚浅草寺貫主揮毫の経、北向観音本堂に。

上田市別所温泉にある北向観音の本堂正面に、半田孝淳(こうじゅん)・天台座主(90)と、実弟の清水谷孝尚(しみずたにこうしょう)・浅草寺(東京)貫首(88)がそれぞれ揮毫(きごう)した観音経の一節が掲げられた。近くの北向観音本坊、常楽寺で生まれ育った兄弟がともに仏教界の要職に就いた記念。比叡山延暦寺(滋賀県)から帰省中の半田座主は16日、「2人とも北向観音の利益をいただいてきた。ご奉告できてうれしい」と語った。
Photo

  本堂正面の階段の上り口に立つ左右の柱に5月末に掲げられた。それ1_5 ぞれ高さ2メートルほどのケヤキの板に、観音経のうち有名な節の10文字ずつが彫られ、金箔(きんぱく)が施されている。向かってが半田座主で、「具一切功徳慈眼視衆生(ぐいっさいくどくじげんじしゅじょう)」(観音様は、すべての偉大な力を身に付け、慈しみの目で私たちを見守ってくださる)、1_6 が清水谷貫首で「福聚海無量是故應頂禮(ふくじゅかいむりょうぜこおうちょうらい)」(海のような無量の福徳をたたえておられるので、心から敬い仰がねばならない)。

  半田座主は昨年2月、常楽寺住職から、256世天台座主に就任。清水谷貫首は27世で1996年6月に就いている。浅草寺は年間3000万人が訪れる。』と、記されている。

翌18日は旧友等と共に北向観音にお参りする。その時に新聞所載の掲額も拝見してきた。

昼食後、同級会もお開きとなり夫々帰路に着いた。私は上田駅から東京行きの長野新幹線に乗るべく待合室に居た。
その時同駅からバスで帰宅するT君が後からやってきた。私からは死角の位置に、どうも新聞に載っていた高僧に似た人が居ると彼が言う。成る程彼の位置からするとその人物がよく見える。お供らしい人が2名荷物などと一緒に傍に付いていた。
お付の人が僧から離れた時に、その人に思い切って尋ねてみたら矢張り、半田天台座主と判った。二人で新聞記事を仲立ちにして話しかけてみたら非常に気楽に打ち解けて話をされ、写真も一緒に撮らせて頂き、暫くしてからお別れした。とても90歳などとは思われず矍鑠としていらっしゃって此方も何か元気を頂いた感じがした。

帰宅後、その時の私の感想と、撮った写真を添付してT君へ送った。

『信毎記事の半田孝淳師と清水谷孝尚師の事を伺い、北向観音でその掲額にご対面してきたばかりなのに、当の半田師と、その日にお会い出来るとは人生は将にあざなえる繩の如しの感があり、出会いといった因果めいたものをしみじみ感じました。
あの時の待合室の私の位置からは師の所在を知る事は不可能でしたが、貴君が来て見つけて下さり声をかけて下さったおかげで、単なるすれ違いに終る筈だったものが、あの出会いになった事を思うと、不思議な因縁を感じました。』
まことに奇遇であり、これも何かのご縁というものであろうか。
若しあの時、半田師が駅に来られなければ、私が駅に居なければ、T君が来なければ、声を掛けなければ等と思うと、偶然とは言いながら、出会いの不思議さや因縁めいたものを感じる。

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