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2008年5月14日 (水)

国盗り綱引き合戦

長野県南信濃村(現飯田市)と静岡県水窪町(現浜松市)との境に兵越峠(ひょうごしとうげ)という信州と遠州の国境がある。
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此処にはこのような国境を示す看板が建っている。この国境は行政上の区分ではなく領土をかけて戦う「峠の国盗り綱引き合戦」によって、勝った方が負けたほうの領土に1mだけ領土を広げるというルールである。
1987年から始まって水窪側の10勝11敗という成績になっている。数字上は好勝負だが遠州軍側から見ると一度も信州領内に食い入ったことがない。

綱取合戦の発端は商工会青年部同士のレクリエーション。アドバイザーに迎えた加藤伸幸さんという人が領地を奪い合うというアイデアを提供してくれたことによる。
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上記綱引きの写真は、靜岡新聞記事から引用したもので、綱引き合戦は毎年10月の第4日曜日に行われる。昔武田軍がこの峠を越して信州に攻め入った所であり歴史の息づいている峠でもあるが兎に角狭い。それだけに当日は交通整理が大変のようだ。

兎角乾いた話しかない現代にこのようなロマンのある話があるのも楽しいし、地域の活性化と歴史を学ぶ機会にもなる。

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2008年5月 8日 (木)

文化遺産

浜松市の中心部は先の大戦で殆どの建物が消失したがその中で、残骸として残った建物を修復したものは何箇所かある。

その中で消失を免れほぼ完全な形で残った建物に靜岡銀行・浜松営業部(旧遠州銀行本店)がある。その建物の特徴はイオニア式柱頭と呼ばれる渦巻き型柱頭を持った4本の柱である。イオニア式柱頭 Ionische Kapitell は、柱の上に左右対称になった渦巻きがのり、その上にアバクスがのるといった構造で、アテネのアクロポリスではこのイオニア式とドリア式の柱が巧みに配置されている。

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以前(2006/4)、本ブログで紹介した時には、その建物の前にバス停の屋根があってあたら文化遺産の景観も台無しだった。しかし今度リニューアルした建物の前からは、街路灯一本だけが残されたものの、それ以外のものは完全に撤去され建物の全貌が望まれるようになった(写真)。

『靜岡市役所も設計した明治生まれの建築家・中村與資平が県内で始めて本格的に手がけた建物で、県内近代建築の記念碑的存在である。ギリシャ、ローマ建築の流れをくむ正統古典主義の造りで、中村の代表作である。』と、靜岡新聞(2008/5/8)には紹介されている。
同紙によると『建築は昭和3年、県内初の鉄骨鉄筋コンクリート造りで堅固な構造が吹き抜けの大空間を可能にした。当時、県下随一と言われた総工費45万円をかけた最高レベルの建物』とも記されている。

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2008年5月 7日 (水)

行く春

浜松は凧祭が済んで漸く静かになった。

6日の夕方、家の近所の茶畑の附近を通ったら入り日と雲が実に綺麗だった。写真は午後6時半頃、携帯で撮ったもの。
200805061826000俳句の季語に、「行く春」や「春惜しむ」がある。
『「行く春 」は春という季節を人になぞらえて「行く」というのだが、擬人法と気がつかないほど親しみ深い言葉である。
春惜しむ」は過ぎ去る春を惜しむ人の心に重心を置く。これに対して「行く春」は過ぎ去る春を廻り流れる時間としてとらえた季語である。』と、角川俳句大歳時記にはある。
 行く春を近江の人と惜しみける  芭蕉
 行く春や鳥啼き魚の目は泪    芭蕉
 ゆく春や僧に鳥啼く雲の中     飯田蛇笏
 行春や浮葉ひとつに日のひかり 水原秋桜子
 ゆく春や身に倖せの割烹着    鈴木真砂女
 去りゆきし春を種火のごと思ふ  藤田湘子
行く春、ゆく春、行春、去りゆきし春等に俳人の想いも籠っているのであろう。
 春惜む心に遠き夜の雲       臼田亜浪
 春惜むおんすがたこそとこしなへ 水原秋桜子
 汝と我相寄らずとも春惜む     阿波野青畝
 惜春のわが道をわが歩幅にて   倉田紘文
過ごしにくい夏と冬は「惜しむ」とは言わない。

5日は立夏、暦の上では夏。その夏がやってくる。

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2008年5月 3日 (土)

一文字の意味

現役時代の最後の10年余は大阪へ出張する事が多かった。しかし仕事の前後に、大阪城を始め大阪の街を散策した事もない。
通過する京都はある事情があって降りる気になれなかったが、それ以外は出張の帰路など、一寸歩を延ばせば多くの歴史や遺産や自然を楽しむ場所が周囲には沢山あったものを、今から考えるとそんな機会をあたら逃した事を勿体ないことをしたと思う。奈良の古寺をちょくちょく訪れたのがせめてもの慰め。

俳人協会・俳句文学館発行、平成20年5月の俳句カレンダーに掲載されている茂(しげり)恵一郎氏の句の解説文を読んで、そんな機会を失った事への懐旧の念を一入増した。

  樟旺ん人ら旺んに夏めけり   茂恵一郎

富本章三氏の解説文に依ると、『平成14年作。句集「二乃座」所収。句集の帯に「虚子との句会に並び、立子に教えられ、爽雨に習ってきました」と、書かれている。
 作者はそこで学んだ天然の事象を詠むことが好きで、一刻も止まっていられないらしく、関西へ見えた時も、一句会だけでは物足りなくて、若手との勉強会、さらに吟行句会と精力的に動かれた。
 ある句会の時、「」と書いた句を「」とすれば樟脳の匂がしてくると添削。私は何気なく開いた広辞苑に、樟(楠)は「全体に佳香がある。5月頃、黄白色の小花をつけ、材は堅く樟脳を採る」とあって、添削一字の恐しさを知った。
 そしてこの句。華やかな桜も終って、樟若葉の萌える大阪城の一番櫓のあたりの作かも知れぬ、と思った。
 別の作に〈句碑いつも大秋晴や梅あたたか〉もあるが、爽雨句碑〈刻々に大秋晴となる如し〉と、いかにも意気の合った句である。
 大阪城公園は作者の俳句道場。しかも5月は、樟も人も生きとし生ける物すべてが眩しい。』

同上の句と並んでの所載句に
  芍薬の深山の雪といふしろさ  野見山ひふみ
もある。昨年5月の同カレンダーにも同句が掲載されているが、それには
  芍薬の深山の雪といふ白さ
と、「しろさ」と「白さ」一字違いで掲載されている。今年所載の句は著者の短冊があるからそちらの方が著者の本意であろう。

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