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2008年4月30日 (水)

長野県立歴史館

私は長野市郊外の杏の花で全国的にも有名な農村に生れた。今は長野市になっている。
私の子供時代は4月ともなれば一村は杏の花に埋まり屋根は花に浮いたように見える。全国から画家が集まってきてあちこちの辻に画架を据えて絵を描いていた。しかし今は村の中を新幹線が走り、農地は住宅地に変貌し杏の姿は掻き消え、出現した団地の名前に杏花台という名前があって辛うじて杏の花の名残を留めている。

そんな事もあって杏の花というと強い郷愁を感じる。所でもう一箇所、長野市に近い千曲市に「あんずの里」と呼ばれる杏で有名な森という集落がある。
杏の花はいつも4月の18日頃を中心に咲くのが普通。
1 22日に確かめもせずに森へ杏の花を見に出かけたが今年は何時もの年より10日も早く咲いてしまったとかで行った時には一花も見ることが出来ず、蘂だけが残っていた。残念。
その集落の中に「あんずの里工場」があってジャム等の加工をして全国へ発送している。杏のソフトクリームをご馳走になって帰って来た(写真はクリックで拡大します)。

其処を出て真近に「長野県立歴史館」がある。1994年11月3日にオープンして現在に至っているが、信州はヴェルム氷河期のナウマン象と野尻湖人の暮らしから始まって現在にいたる3万年の歴史があり、その間の無数ともいえる資料の中から厳選された資料が展示されている。
1_2 原始・古代・中世・近世・近現代の5つの時代区分に従って主要なテーマの重点展示をしている。
又、歴史的なトピックが理解できるような工夫を凝らして、所謂周辺展示をしていると歴史館では言っていた。
所蔵資料が豊富で、保存上の必要もあって時折り展示替をしているので全資料を同時に見学は出来ないので展示替の時期と内容を確認して行く必要がある。
1_3 歴史館の上方には「科野(しなの)のクニ・森将軍塚古墳」を望見出来る。
・先土器時代のナウマン象(レプリカ)と黒曜石
・縄文時代の土器や石斧、土偶、装飾品等々
・縄文時代の住居や衣類、各種石類等々
・弥生時代の農具、石器、銅器、勾玉等々
・古墳時代の文鏡、勾玉、金銀銅環、装身具等々
・飛鳥時代の木簡や国印等々
・平安時代の土器や通宝、陶磁器、鉄鏃等々
・以下、鎌倉、室町、戦国、各時代を経て現代に至るまでの諸物がぎっしりと展示されその内容の濃さと範囲の広さ・深さに圧倒された。
見終わって些か疲れた。

ところがその展示品の中に思わぬものを見つけた。
1_4
明治時代のヤマハ・オルガンである。燭台付きのオルガンで「静岡県・真島ふみ氏寄贈」としてあった。最初、ブランド名がはっきりしないので係りの女性に尋ねたら親切に調べてくれてヤマハのオルガンである事を確認した。大正初期のヤマハ・オルガンを九州の旅先で見つけた時にも似た感動を覚えた。

ヤマハの創業は1887年(明治20年)11月で、オルガンの製造が発端であるから明治のオルガンといったら極初期の製品であることに間違いはない。
オルガン・リードの自動調律機の設計などをしたことのある私にとっては身近な楽器でもあったオルガン、それも明治のオルガンとあっては、先輩たちの苦労の跡も偲ばれて想いを深くした。

杏の花は見損なったが、それを償って余りあるものを見ることが出来て感動した。

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2008年4月 7日 (月)

都田の桜並木

政令指定都市前の浜松市北部(現北区)に東西10Km、南北15Kmにわたる三方原台地が広がっている。三方原合戦の古戦場としても知られ、今はその北端には広大な浜松テクノポリスがあり又、台地の一角には航空自衛隊や靜岡大学のキャンパスもある。
今頃の季節にはよく黄砂の降ることがあり、台地の北部は全体が霞んで見えることもあるが、今年は去年ほど酷い黄砂は今のところ観察されていない。

三方原台地は戦後、国の施策もあって農業開拓者を募集し極低価格(今から考えると只同然の価格と古老は言う)で土地を提供し今は立派な農地が広がっており、此処で採れるジャガイモ、苺、大根、日本茶、梨等の農産物は味の良いことで知られている。

台地北端にあるテクノポリスに程近い所に都田地区がある。その地区の都田南小学校の西側に立派な桜並木がある。
Photo
この桜は開拓農民が五十年前に入植した時に記念に植えた桜で、一軒一軒がそれぞれ大事に育ててきたものが今は立派な桜トンネルとなっている。
この地を訪れる人たちの中で心ある人たちは、当時苦労した人たちの想いがこの桜の樹に籠っている事を知っている。

ところがこの桜通りを拡張する為に、この桜が取り払われる事になったという。
この道路の僅か西側に平行して通称テクノ道路と言われる道路が走っている。浜松テクノポリスへ通じる中央分離帯があり、片側2車線の立派な道路である。
客観的にみてこの桜通りを、何故市が今の段階で拡張しようとするのかわからない
噂で聞いた事で定かではないが、当時苦労した老人たちはこの拡張には反対しているが2世達の一部は賛成しているとも聞く。

私はこの土地の人と語った事もないのでわからないが、桜には毛虫が発生することも考えられるし、樹自体は各家の敷地の中にあってそれだけ敷地が狭められているのも確かだし、樹自体が老木化している事も確かだ。小学校が近くにあるから児童等の通学上の交通安全ということも考えられる。だから桜を撤去して拡幅すれば維持管理の手間が省け、はっきりとした歩道を設ける事も考えられる。

しかし、この桜並木を訪れて心和む人も大勢居るのも確かだし、それ以上にこの桜に、苦労した嘗ての開拓当時の自分をラップさせて、年々歳々咲く花を見つめ続けてきた人たちの想いを考える時、この桜並木存続の為の何らかの手段は考えられなかったものだろうか。

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2008年4月 4日 (金)

合同句集「きたまど」

今年も鹿沼市在住のK子さんから合同句集「きたまど」が送られてきた。回を重ねて第29集となり今年30周年を迎える。継続は力と言うが、このようなご努力に敬意を表したい。

1 きたまどのメンバーは宇都宮市、鹿沼市在住の20余名の有志で超結社の集いである。何時ものように選者T氏の巻頭言が掲載されている。「句作り雑感」として作句上の注意が平明に述べられている。その結言に「俳句の評価は、材料構成表現の相乗積によって決まる。どれか一つがゼロに近ければその相乗積はゼロに近くなってしまう」と述べている。

各自夫々10句と、それに添えられた寸言が又良い。野仏の修那羅峠の雪解道で見た金縷梅(まんさく)のことも書かれているが、此処は私も何回か訪れた所なので印象深い。こだわりの俳句作りに就いて書かれているのも参考になる。日本語の魅力に就いての実感は頷ける。一茶の句の新鮮味と伝達力を取り上げ「景七情三」との論は共鳴する。夫々の来し方との関係も想われて興味深い。

此処で私の好きな句を取り上げてみる。
   反芻の垂涎ひかる余寒かな
   海峡の潮目一すぢ鳥帰る
   陪塚の百間に侍し下萌ゆる
   襖閉づ闇に雛の息のこし
   沢桔梗ケルンに小石一つ足す
   ひとり居や春爛漫といふ愁ひ
   共にゐて刻それぞれの夜長かな
   木枯しや解体ビルの骨あらは
   望楼の歩哨に立ちし十三夜
   無医村に若き医師来る雁の頃
   駆くる児の髪亜麻色に風光る
   涼しさや雲の下り来る南谷
   合歓の花明日の私に合ひにゆく
   足遠くなりし浅草傘雨の忌
   バス停に風の集まる二月かな
   菊花展賞なき鉢も咲き誇る
   秋の蝶米粒ほどの花に拠る
   海鳴りや首折れ易き野水仙
   草丈の高さに睦み秋の蝶
   白山茶花秘密のやうに一つだけ  
   屋根よりも高き堤防鳥帰る
   木枯やサントワマミー着信音
   ていねいに髪梳く勤労感謝の日
   鶏頭の暮れ赤しとも黒しとも
   更衣母の箪笥に母のもの
   秋蝶の暮れてなほ飛ぶ畦づたひ
   教へ子もすでに還暦鳥雲に
   竹林の秀のさわさわと風光る
   凍星や男鹿の荒磯の濤こだま

非日常の景に触れることで自らの創作活動を自覚し、自らの感性を磨き上げてきた事を改めて感じる。

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