« 祖霊息づく千枚田 | トップページ | 池宮正信「ラグタイムの夕べ」(2) »

2008年2月 6日 (水)

蘆刈り

節分前の大寒の中、蘆刈りを見に行くことになった。この寒い中をと辟易したが勇を鼓して出かけた。出てみると何とか行けるもので蘆刈り景を楽しむ事が出来た。

所は琵琶湖畔の北之庄町の一角で、水郷を手漕ぎ舟に乗って蘆の間を廻った後、蘆刈りの景を見る。みな着ぶくれて舟に乗るが半纏を一枚づつ貸してくれるし、風もなかったので予想したより寒くなくて助かった。
Photo
はみな「あし」と読むが「よし」とも読む。地元では「よし」と呼ぶ事が多いのは「悪し」より「好し」の意からであろう。しかし「あし」と「よし」には厳密な意味では差があると言う。しかしその説明を聞いても余りピンとこなかったが矢張り、茎の構造や穂や葉にその差があると言う。学問的な差に就いて、ご存知の方に再度教えを請いたいと思っている。
因みに歳時記では『アシの生え始めを「葭(か)」、まだ若いアシを「蘆(ろ)」、大アシに生長したものを「葦(い)」という』とある。
人間は考える葦である」というパスカルの有名な言葉に使われているのは「葦」である。

昔は葭長者(よしちょうじゃ)等と呼ばれて潤った時期もあったが最近では中国産に押される一方で需要も減少した事もあって、作っても赤字だと葭長者の裔のN氏は語っていた。谷崎潤一郎の名作「蘆刈」で描いたような風景は殆ど見られなくなったのが実情であろう。
Img_31331
Photo_2 長い柄の独特の鎌で刈り取り束ねて出荷する。中々の重労働のように見受けた。

歳時記では「蘆枯る」は冬の、「蘆刈」は秋の季語になっているのが面白い。
「蘆枯る」に就いて『日本には「葦原の国」という古称があるように古来葦が多かった。水辺に群生する葦も冬になると花穂はほおけ、剣状の葉は枯れて下の方から落ちて行き遂には茎だけとなって寒風に吹かれ水に映っている、蕭条たる光景だが決して暗くはなく閑寂の趣がある』と歳時記には記されている。

こんな寒い時にと引っ込み思案だったが、矢張り出てみると、そこには又別な世界があるものと感慨を深くした。

|

« 祖霊息づく千枚田 | トップページ | 池宮正信「ラグタイムの夕べ」(2) »

コメント

Alps様のブログ記事「蘆刈り」を、偶然拝見しました。
私はこの記事の場所とは違いますが、矢張り蘆刈りを身近に感じる所に住んでいた事がありますので、非常に懐かしく嬉しく拝見致しました。
有難う御座いました。

投稿: さち | 2008年3月20日 (木) 15時39分

さち様
コメント有難う御座いました。
蘆刈りは最近では見られる所が少なくなったか場所が狭くなったりして昔の情緒が失われつつあるのが実情でしょうね。日本的な情緒として残しておきたい風物ですね。

投稿: Alps | 2008年3月20日 (木) 19時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99342/40015141

この記事へのトラックバック一覧です: 蘆刈り:

« 祖霊息づく千枚田 | トップページ | 池宮正信「ラグタイムの夕べ」(2) »