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2008年2月21日 (木)

アルト ハイデルベルク

偶々Mさんと電話でお話をしている時に、ハイデルベルクの話が出た。
Mさんのお子さんがデュッセルドルフに2年ほど駐在していた事があり、Mさんご夫妻はその時を逃さず、デュッセルドルフへ出かけたが、たまたまハイデルベルクへ泊った事があり、その時の印象が非常に良かったという話だった。

その話を聞いていて私は、1968年(1963年に引き続き2回目の)海外技術視察の為に訪欧した時に一泊したハイデルベルクの事を思い出していた。ただ私の場合は夜着いて翌日の朝立ちの為にハイデルベルクの記憶は殆ど無い。言うなれば通過点でしかない。
通過点に過ぎないハイデルベルクだが、私は連想的に別のハイデルベルクを思い起こしていた。マイアーフェルスターの「アルト ハイデルベルク」の事である。

私がN社(現、Y社)に入社し清韻寮に居た頃、同じ寮に京大法学部出身の黒川さんと言う人が居た。寮では、彼の部屋や私の部屋でよく話し合ったものだ。
そんな時に「アルト ハイデルベルク」の中に出てくる、ケーティーが、カル・ハインリヒに花束を捧げながら歌う唄を、黒川さんが口伝で教えてくれた。そして今もそれは私の愛唱歌の中の一つになっている。番匠谷英一訳による歌詞は、
     とほき国よりはるばると
     ネカーの河のなつかしき
     岸に来ませるわが君に
     今ぞささげんこの春の
     いと美はしき花飾り、
     いざや入りませわが家に
     さはれ去ります日もあらば
     しのびたまはれわかき日の
     ハイデルベルクの学びやの
     さちおほき日の思ひ出を
であるが、その歌詞と調べと共に、黒川さんの事を思い出す。黒川さんと出会ってから1年程経った時、彼は退社してしまい其の後の消息が判らない。私は今も彼との出会いを懐かしく思うと共に、短期間のお付き合いを真の出会いとして継続出来なかった事を残念に思っている。
若し黒川さんが今もご健在で、この記事が幸いにしてお目に留まって再会する機会が出来たら嬉しい。

Mさんとの話から逸脱し連想して「アルト ハイデルベルク」になってしまったが、一種の青春讃歌であり青春懐古の思い出である。

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