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2008年2月29日 (金)

企業と経営者

企業は経営者の姿勢によって大きく変る
最近は企業利益を追求する姿ばかりが目に付く。勿論企業は適正な利潤を上げなければ存続できない事は自明のことだが、経営者にがなければ、顧客指向がなければ、当然の事ながらコスト意識がなければならない。

旧聞に属するが私の経験した事例の一つをご紹介する。

Y社でエレクトーンの生産を担当していた時、品質の3指示事項の内の一つは、最終出荷検査まで含めて工程内で「同期外れ」が出た時は遅滞なく報告する事を義務付けていた。同期外れとは何らかの理由から音程が乱れてしまう現象を言う。
夏の或る日一台発生した。直ちに出荷を停止して原因の究明をした。その結果判ったのは、使われていたT社の抵抗の一本がオープンしていた事が判った。直ちにT社に連絡をとり原因の究明を求めると共に、T社に出かけた。T社での会議中も、私はT社の社長を始め役員の取り組み姿勢に真剣さを感じていた。以後T社の抵抗に問題が出たことはなかった。

写真はその当時生産していたエレクトーンの一種類である。親板を含め木製外装に包まれ、スピーカーも内蔵しているもので、現在のそれと比べると随分重厚感のある商品だった。
其の後T社を再度訪問した時、私は眼を疑った。
Photo_2 工場へ一歩足を踏み入れてこの前と別の会社に来てしまったような錯覚に陥った。
その一つは、従業員の作業服がガラリと変わっていた事である。聞けば当時有名なデザイナーに依頼して新しく作った作業服だそうでスマートな形とスッキリした色合いに驚いた。黙っていればそれを出勤時や退勤時に着用するので、作業時以外の着用は禁止したという。
二番目は床や作業台が見違えるようにきれいになったことである。それには裏がある。作業服を変えると共に、それまでつけていた手首から肘までの腕カバーの使用を禁止した。だから従業員はそのスマートな作業衣の袖を含めて汚さないように、自発的に各自の作業台を雑巾掛けするようになり、あわせて床の掃除までするようになったという。
更に誤って作業台から落としてしまった抵抗を拾うことはそれまでも禁止していたが、以後は厳禁した。抵抗にはカラーコードと呼ばれる識別記号が付けられているが、一寸見には同じように見えるものでも良く見るとカラーコードが異なっているものがあったりする可能性があるので、その混在する危険性を完全に除去した。

5Sなどといって仰々しく言うのではなく、5Sが黙っていても守られる仕組みを社長が率先して考案し実施し、結果として顧客に品質を保障したことになる。これは私の目に付いた事だけを取り上げたものだが、此処まで真剣に取り組む程だから他は押して知るべしである。
後で聞くところに依ると抵抗一本のオープンを取り上げて即行動を起したY社の早さに応える為に全力を挙げたとのこと。それを聞いて私はこの社長のいる会社は将来発展する会社であろうと思った。

当時のT社は、2部にも上場されていない京都の一企業でしかなかった。其の後T社は、半導体分野に進出し業績を伸ばし、名前もR社と変更し今は1部上場の超優良企業になっている。
矢張り社長の経営姿勢がそのような結果となったと思う。実は私は其の後同社を訪問する機会がないが、企業と経営者の姿勢を強く感じている一例である。

(蛇足ながら今日は、4年に1度の閏日)

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2008年2月21日 (木)

アルト ハイデルベルク

偶々Mさんと電話でお話をしている時に、ハイデルベルクの話が出た。
Mさんのお子さんがデュッセルドルフに2年ほど駐在していた事があり、Mさんご夫妻はその時を逃さず、デュッセルドルフへ出かけたが、たまたまハイデルベルクへ泊った事があり、その時の印象が非常に良かったという話だった。

その話を聞いていて私は、1968年(1963年に引き続き2回目の)海外技術視察の為に訪欧した時に一泊したハイデルベルクの事を思い出していた。ただ私の場合は夜着いて翌日の朝立ちの為にハイデルベルクの記憶は殆ど無い。言うなれば通過点でしかない。
通過点に過ぎないハイデルベルクだが、私は連想的に別のハイデルベルクを思い起こしていた。マイアーフェルスターの「アルト ハイデルベルク」の事である。

私がN社(現、Y社)に入社し清韻寮に居た頃、同じ寮に京大法学部出身の黒川さんと言う人が居た。寮では、彼の部屋や私の部屋でよく話し合ったものだ。
そんな時に「アルト ハイデルベルク」の中に出てくる、ケーティーが、カル・ハインリヒに花束を捧げながら歌う唄を、黒川さんが口伝で教えてくれた。そして今もそれは私の愛唱歌の中の一つになっている。番匠谷英一訳による歌詞は、
     とほき国よりはるばると
     ネカーの河のなつかしき
     岸に来ませるわが君に
     今ぞささげんこの春の
     いと美はしき花飾り、
     いざや入りませわが家に
     さはれ去ります日もあらば
     しのびたまはれわかき日の
     ハイデルベルクの学びやの
     さちおほき日の思ひ出を
であるが、その歌詞と調べと共に、黒川さんの事を思い出す。黒川さんと出会ってから1年程経った時、彼は退社してしまい其の後の消息が判らない。私は今も彼との出会いを懐かしく思うと共に、短期間のお付き合いを真の出会いとして継続出来なかった事を残念に思っている。
若し黒川さんが今もご健在で、この記事が幸いにしてお目に留まって再会する機会が出来たら嬉しい。

Mさんとの話から逸脱し連想して「アルト ハイデルベルク」になってしまったが、一種の青春讃歌であり青春懐古の思い出である。

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2008年2月18日 (月)

池宮正信「ラグタイムの夕べ」(2)

例年12月に行われる「池宮正信ラグタイムの夕べ」が、今回は2月に入ってから浜松市のヤマハ・ホールで行われた。ホールはこじんまりとしたライブなホールでこのようなコンサートには向いている。

ラグタイム(ragtime)は、19世紀末から20世紀初頭にかけ、アメリカで流行した音楽のジャンル。
19世紀、ミズーリ地方の黒人ミュージシャンが黒人音楽(ブルース)を基本に独自の演奏法を編み出し、これが従来のクラシック音楽のリズムとは違う「遅い」リズムと思われたことから「ragged-time」略して「ragtime」と呼ばれるようになった。
リズム的特長としては「シンコペーション」と呼ばれるリズム構成が主体で、従来のクラシック音楽とは異なる印象を与える(Wikipediaより)。』

前回のコンサートと同様に一部はクラシックで、シューマンとラフマニノフからだったが二部が本番のラグタイム。
1曲目とその成り立ちや聴き所を簡単に解説しては演奏するので判りやすいし、聴衆も一緒に拍手する場所の設定をしたりするので、奏者・客席が一体になって楽しみ、場がいっぺんに盛り上がる。写真は曲と曲の間での解説場面で、くだけた姿が一層雰囲気を和らげる。

アメリカ在住が長いので、彼の話す日本語にたくまずして、時々おかしなアクセントが入ったり乱れたりする場面があったりしてそれが却ってユーモラスで場の雰囲気を和ませる。

曲目は、
 藁の中の七面鳥のラグ (アメリカ民謡)
 あの酔わせるメンデルスゾーンのメロディー(アーヴィン バーリン)
 ロシア風のラグ (ジョージ コブ)
 エリーゼのためのラグ (ベートーベン)
 オデオン(ブラジルタンゴ) (エルネスト ナザレス)
 ………
等々で1910年代のものからあって歴史的経過を思わせる雰囲気もある。
1_2
演奏終了後はサイン入りのCDの販売もある。写真はサイン中の池宮氏で楽しい会話を楽しみながらのサイン会で、彼の明るい雰囲気が演奏から引き続いて此処にある。

数年前までは、浜松在住の彼のお婆ちゃんとその家族の為に、客席の一番前に席を用意して聴いて頂くのが常で、彼の口からおばあちゃんの紹介をし、演奏後に客から頂いた花束を、頂いた客にお礼と承諾を得て、おばあちゃんに捧げるのが常だった。
しかしそのおばあちゃんは今は亡くなってしまい、その風景を知っている人たちからはその情景を思い浮かべながらの花束贈呈の雰囲気を感じ取っている。

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2008年2月 6日 (水)

蘆刈り

節分前の大寒の中、蘆刈りを見に行くことになった。この寒い中をと辟易したが勇を鼓して出かけた。出てみると何とか行けるもので蘆刈り景を楽しむ事が出来た。

所は琵琶湖畔の北之庄町の一角で、水郷を手漕ぎ舟に乗って蘆の間を廻った後、蘆刈りの景を見る。みな着ぶくれて舟に乗るが半纏を一枚づつ貸してくれるし、風もなかったので予想したより寒くなくて助かった。
Photo
はみな「あし」と読むが「よし」とも読む。地元では「よし」と呼ぶ事が多いのは「悪し」より「好し」の意からであろう。しかし「あし」と「よし」には厳密な意味では差があると言う。しかしその説明を聞いても余りピンとこなかったが矢張り、茎の構造や穂や葉にその差があると言う。学問的な差に就いて、ご存知の方に再度教えを請いたいと思っている。
因みに歳時記では『アシの生え始めを「葭(か)」、まだ若いアシを「蘆(ろ)」、大アシに生長したものを「葦(い)」という』とある。
人間は考える葦である」というパスカルの有名な言葉に使われているのは「葦」である。

昔は葭長者(よしちょうじゃ)等と呼ばれて潤った時期もあったが最近では中国産に押される一方で需要も減少した事もあって、作っても赤字だと葭長者の裔のN氏は語っていた。谷崎潤一郎の名作「蘆刈」で描いたような風景は殆ど見られなくなったのが実情であろう。
Img_31331
Photo_2 長い柄の独特の鎌で刈り取り束ねて出荷する。中々の重労働のように見受けた。

歳時記では「蘆枯る」は冬の、「蘆刈」は秋の季語になっているのが面白い。
「蘆枯る」に就いて『日本には「葦原の国」という古称があるように古来葦が多かった。水辺に群生する葦も冬になると花穂はほおけ、剣状の葉は枯れて下の方から落ちて行き遂には茎だけとなって寒風に吹かれ水に映っている、蕭条たる光景だが決して暗くはなく閑寂の趣がある』と歳時記には記されている。

こんな寒い時にと引っ込み思案だったが、矢張り出てみると、そこには又別な世界があるものと感慨を深くした。

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