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2007年12月 3日 (月)

信濃いま

   信濃いま枯れ一望の山河かな

俳人協会・俳句文学館発行、平成19年12月俳句カレンダーの掲載句である。作者は馬酔木主宰の水原春郎氏清水節子氏の解説がある。

 『高原の光を全て集めていた落葉松黄葉が惜しげもなく散り尽きると、山国はいよいよ枯色を深くする。
 掲句の「信濃いま」のきっぱりとした詠い出しには、高みに展ける枯れ一色の荒涼とした景を眼にした瞬間の作者の驚きが窺える。
 芽吹きや万緑や紅葉の時の光に満ちた野山よりむしろ、いまひたすらに枯れてゆく「一望の山河」に作者が強い感動を覚えているのが一読見て取れる。
 誦すれば「力」音が心地よくひびき、雪を待つ自然のしんとした緊張感も伝わってくる。 平成十五年発表のこの句は何処で詠まれたのであろう。千曲川を眼下に見晴らせるという北信濃の葛尾城址か、対岸の荒砥城址あたりであろうか。
「信濃」ときくと何故かにわかに旅心が湧いてくるのだが、何時か師の佇まれた同じ処から「枯れ一望の山河」を臨んでみたいと思う。信濃の青空から風花が舞い散る日に……。(清水節子)』

信濃は私の故郷。「信濃」と聞くと胸が熱くなる。

掲句は何処で詠まれたものであろうか。
「一望の」と言われるからには、清水氏の言われる、そのような場所であろうが、私にとっては遠い昔、寒風の吹き荒ぶ野面に立った父母や、それを手伝って一緒に働いた私たち兄妹の事に想いを馳せて「枯れ一望」は今でも実感が湧く。
杏子や桜の花が咲き乱れる信濃も亦華やかではあるが、枯れ切った信濃には、そこで暮らしてきた者の生活感がある。
生後始めて吸った空気も信濃の空気、育ったのも信濃。
信濃を故郷に持つ私にとって、掲句には心打たれる。

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