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2007年12月31日 (月)

亥年から子年へ

今年も愈々押し詰まった。今年の世相を漢字一文字で表現すると「偽」と言う。言い得て妙である。
 「あのねえ どんなに上手なべんかいをしてもね べんかいは やっぱり べんかいなんだよなあ(みつを)」
 「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねんだよなあ(みつを)」
(花ならいいが現実は…)、そう、根は見えないし、深いんだよねえ。

そんな年も間もなく終る。毎年末にはご懇意にしているお寺の住職の特注品の酒器が届く。
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干支の亥から子へ替る。頂いた酒器は今年酒で満たされている。中味は別として、酒器は来年一年間は床の間を飾る。
酒器の作者は例年の通り、上田和弘(彩煌)氏。来る年は、良い年にしたいもの。

NHK紅白歌合戦が始まったようだ。紅白歌合戦に就いて俳人、相生垣瓜人(あいおいがき かじん)に次の句がある。

  年の夜の聞くに堪へざる鄭聲や   瓜人

鄭聲(ていせい)は野卑な音楽の意。除夜に就いて他に瓜人の句に、

  漆黒の除夜のみ嘗て記憶せり 
  恍として撞くらむ除夜の鐘聞こゆ
  年の夜に聞き納むべきバッハあり

がある。百合山羽公(うこう)の句に、

  除夜の鐘先づはわが世に響きけり

がある。皆様、良い年をお迎え下さい。

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2007年12月 3日 (月)

信濃いま

   信濃いま枯れ一望の山河かな

俳人協会・俳句文学館発行、平成19年12月俳句カレンダーの掲載句である。作者は馬酔木主宰の水原春郎氏清水節子氏の解説がある。

 『高原の光を全て集めていた落葉松黄葉が惜しげもなく散り尽きると、山国はいよいよ枯色を深くする。
 掲句の「信濃いま」のきっぱりとした詠い出しには、高みに展ける枯れ一色の荒涼とした景を眼にした瞬間の作者の驚きが窺える。
 芽吹きや万緑や紅葉の時の光に満ちた野山よりむしろ、いまひたすらに枯れてゆく「一望の山河」に作者が強い感動を覚えているのが一読見て取れる。
 誦すれば「力」音が心地よくひびき、雪を待つ自然のしんとした緊張感も伝わってくる。 平成十五年発表のこの句は何処で詠まれたのであろう。千曲川を眼下に見晴らせるという北信濃の葛尾城址か、対岸の荒砥城址あたりであろうか。
「信濃」ときくと何故かにわかに旅心が湧いてくるのだが、何時か師の佇まれた同じ処から「枯れ一望の山河」を臨んでみたいと思う。信濃の青空から風花が舞い散る日に……。(清水節子)』

信濃は私の故郷。「信濃」と聞くと胸が熱くなる。

掲句は何処で詠まれたものであろうか。
「一望の」と言われるからには、清水氏の言われる、そのような場所であろうが、私にとっては遠い昔、寒風の吹き荒ぶ野面に立った父母や、それを手伝って一緒に働いた私たち兄妹の事に想いを馳せて「枯れ一望」は今でも実感が湧く。
杏子や桜の花が咲き乱れる信濃も亦華やかではあるが、枯れ切った信濃には、そこで暮らしてきた者の生活感がある。
生後始めて吸った空気も信濃の空気、育ったのも信濃。
信濃を故郷に持つ私にとって、掲句には心打たれる。

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2007年12月 2日 (日)

或る出会い

小諸の懐古園は冬紅葉ももう終わりに近く、好天気だったが訪れる人もまばらだった。近くには千曲川が蛇行して流れている。
園内を散策し藤村記念館に程近いところの茶店へ寄った。手打ちの新蕎麦があると言うので注文した。

店内には男性客一人が居ただけだった。
店に入る時にその人の顔をちらりと見て何となく親しみを覚えた。「私は浜松から来たのですが、お宅さんはどちらからいらっしゃいましたか」と話しかけてみた。「私は岐阜市に住んでいるのですが、定年後はちょくちょく開田(かいだ)高原のマンションを拠点に一人で歩き回り、今は千曲川の源流から河口までを訪ねている所です。又フランスへは良く出かけ、鉄道の旅は5万Kmになります。」との事だった。話が弾んで短かったが楽しい一時だった。

食事が終って別れ際に「これは私の旅行記ですが宜しかったらどうぞ御覧下さい」と一冊の本を頂いた(私書版で一般販売はされていない模様)。
1_2フランス一人旅10年の記録~歩く迷いそして独り言』と題する本で、著者O.H.さんの旅の備忘録とでも言うべきものを集大成した書である。

自己紹介欄に依ると、O.H.さんは1930年生れ、或る自動車販売会社の経営を65歳で引退して以降、年1回フランス一人旅を始め訪問国50ケ国に及び、絵や写真それに旅行記等を始め紀行集も5冊出している。

本書の中から一部引用してみる。
『どうしてフランスなのか、身構えるほどのこともない。…別に出迎えてくれる人もなく、求めようともせず、美食にもありつけず、併し言葉の壁は視界に立ちはだかりはしなかった。
この間視覚によってとらえられるものは言葉に置き換えた一人だから出来たのかもしれない、異国にあって我が祖国を見ていたのだ。別に彼の地に染まったわけでもなく、…』と序文には記されている。
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本書の構成は、写真(モノクロ)1ページに、その説明とその時の感想や想いを1ページに纏めるという構成になっている。字体も何種類かあって、声を大きく主張したい所は活字も大きなものが使われている。恐らく備忘録的にその時々に纏めておいたものを編集し直したものであろう。写真がカラーであったらもっと実感が湧くと思う。

『パリカルナヴァレ歴史博物館から学ぶもの、
オスマン計画によるパリの大改造は我々に多くの教訓を残している。それにしても歴史から学ぶことのなんて下手なのか我が国は。否学びたくないといったほうが適切かもしれない。』
『人類に征服されたアルプスの山々、
シャモニーから仰ぎ見る2月のモンブラン、…今人類に求められるのは欲望の充足よりも自然に対する謙虚さではないか。
…氷河と川との違いは静と動、否ストックとフローの関係であり地球温暖化の影響でストックがフローになり始めている現状は深刻である。2月の風は生暖かく気味悪い。』

O.H.さんは一人旅に拘っている。当然孤独感もあるであろうが、一人の方が旅がより深くなると考えている。
旅の仕方も人夫々。家庭環境もあるだろうし、人の生き方も、考え方も含めて人夫々であろう。他人が容喙することではない。

出会いとは不思議なものだ。若し私が声を掛けなければ、「出会い」ではなく「単なるすれ違い」に終ってしまったであろう。
嘗て私は、旧友のY君と出会いに就いて意見交換をした事がある。Y君は「私は幸運に恵まれて、思いも掛けない素晴らしい人との出会いを数多くさせて頂きました。」と述べていた事を思い出した。単なるすれ違いに終ってしまうところを「出会いにする為の努力をY君なりにしていた事は想像に難くない。

懐古園も素晴らしかったがこのような人と出会った事が嬉しかった。

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