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2007年9月12日 (水)

幾山河

今、静かに瀬島龍三氏を偲んでいる。
嘗てY社に同氏をお招きしてお話を伺ったことがある。祖国愛を切々と訴えかける姿に感動し今も鮮明にまな裏に焼きついている。

氏は人も知る、旧大本営参謀として、又戦後シベリア抑留から帰国後、伊藤忠商事に入社し会長まで上り詰める一方、土光臨調の徹底した黒子として活躍した記憶は多くの人の知るところである。

今何故、瀬島龍三か
最近の経営者の中には経営理念もなく利益至上主義に走る者、官僚たちの中には国益より省益・省益より私益に走る者、政治家の中には国政より私欲に走り政治と金の問題が後を絶たない。成果は全て自分に属し、都合の良いときは自分を正面に押し出し、都合の悪い時は他人のせいにするか、知らぬ存ぜぬを決め込む輩が目立つ。
そんな流れを苦々しく思っている者にとって、土光臨調時代の黒子役に徹しきった瀬島氏の出処進退の姿は清清しく映る。

しかし何時の世にも必ず中傷する者が現れる。同氏の場合も、「シベリア抑留時代に強制労働に関するソ連軍との秘密協定があったのではないか」等の中傷もあった。
それに就いて、勝海舟が維新後の自分の出所進退に就いて福沢諭吉から批判を受けた時、『行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他人の主張』と応えた事を思い出す。
瀬島氏は自分の行蔵に就いても黙し続けた。その瀬島氏が、1995年9月30日発行(初版)の「瀬島龍三回想録 『幾山河』 (産経新聞社)」によって、それらを否定する興味深い論点を全て書いている。中傷と悪口を言われ続けた中での、この書の記述は、改めて読み直してみて、逆説的な意味でそれらに対する彼の男ぶりを明確にしたものとも取れる。Photo_2

序ながら、同書に依ると彼は自分の人生を、①軍人を志した青年時代、②大本営参謀時代、③シベリア抑留時代、④伊藤忠時代、⑤臨調時代の5期に分けて書いている。
その文中又は行動記述中から今も印象の強い事例の2,3を取り上げてみる。

私には大本営時代の瀬島氏の印象は同書の記述に頼る以外にないが、シベリア抑留中の苦悩と苦渋に満ちた生活は同氏の話からも身近に感じられる。
シベリア抑留の原点は、1945年8月23日、スターリンのワシレコフ元帥に対する秘密指令から発している。…その背景にはスターリンが望んだ北海道の北半分の占領をトルーマン大統領から断られたという事情があった』と同書は語る。

『・日ソ中立条約を侵して満州に侵攻・日本軍のみでなく居留民や中国(満州)人に対し暴行、暴虐を行った・日本軍人、一部民間人あわせて約60万人をソ連領内に連行、1200箇所のラーゲリに収容し劣悪な条件下に強制労働に就かせ推定で6~7万人が死亡・ソ連国内法で刑を科し、長期に渉って抑留、かつ強制労働させた・抑留日本人の一部を使って所謂「民主主義」なるものを組織し、その支配下で洗脳、戦犯造成、労働強化など陰湿な政治工作を実施した・北方4島は今も占領を継続中…これらは何れも「犯罪」であり、これは大東亜戦域での他の国の日本人に対する扱い方とは全く異なっている。平成3年4月ゴルバチョフ大統領(当時)がハバロフスクの日本人墓地を訪れ、また抑留者団体の代表と僅か数分会見し、その際「同情」すると述べたが「同情」とは関係の無い第3者の当事者に対する憐れみを言う言葉である。。ソ連は加害者なのに、顧みて他を言うこの言葉には罪の意識などさらさらなく、ソ連という国の本質を見る思いがした』と同書の中で想いを述べている。
同氏自身も何時呼び出されて処刑されるかも分からない状態の中で『私にとって最も辛かったのはまず「孤独」である。対話する相手が居ない面壁の毎日の中で、仏を信じ幼時から覚えていたお(註:聞いた話では観音経の一部と思われる)を口ずさんで漸く心の平衡を保っていた』と言う。

所謂土光臨調では黒子に徹し土光氏を助け、例えば毎年度2兆円近くあった旧国鉄の赤字を救った活躍は特筆すべきものがあった。当事者である国鉄、運輸省は基本的には改革路線には反対で臨調の審議に全面協力には程遠かった中での改革は大変であったであろうと推察する。其処を突破できたのも土光氏の強力なリーダーシップと共に、瀬島氏や加藤氏の活躍を見逃せない。今改めて同書を読み返してみると、同氏が常に表面には土光氏を立て自らは黒子に徹しきった行動は特筆に値する。

今、瀬島氏を偲び、「幾山河」を読み直し、淡々たる話の中に祖国愛を強調し黒子に徹しきった瀬島氏の生き方を顧み、その残した業績を思う時、今こそこのような人物を国家は欲しているのではないかとしみじみと思う。

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コメント

一寸見ないうちに、続けての発信又エンジンがかかりはじめましたね。
 瀬島さんのこと、山崎豊子の小説に瀬島さんをモデルにした小説がありましたね。それ以来彼に興味をもつていますが、まだわからない面があります、毀誉は他人のことというように、彼が答えていない部分があるようなきがするんです、たとえ誤解されているとしても。
 先日のテレビでの瀬島さんの追悼番組であつたとおもうのですが、参謀というのはあらゆる状況を考えて、何通りもの案を持つものだ、瀬島さんはあくまで参謀として土光さんをサポートしたといっていましたが、黒子になりきれる人間が今いなくなったんですかね。
 もしかしたら小泉さんの飯島秘書官くらい?、安部さんの秘書官は評判が悪いですね。
 今話題の小沢さんは、どちらのタイプなんでしょう。
今日の代表質問でも、小沢さんでなく鳩山さんとか、
彼は首相になる気は無いんでしょうかね、彼の行動はある面では参謀的、想定問題外のことが起きると、ヤーメタと放り出す恐れはないんでしょうか。彼が権力をもちえたのも田中角栄という総司令官がいたからではないのしょうか。
 児玉源太郎に大山巌がいたように、そんな人が日本の政治家に見当たらないのが、恐いとおもえる今日です。
 

投稿: 尚童 | 2007年9月12日 (水) 10時51分

この様な人が、少し前までのわが国には居た。
私が「ピアニスト」に話したことを記事:歴史認識(2):歴史認識(2)、
に書かれたO教授等も同様な人物であった。 ニューヨーク大學にそのまま居れば、世界的な大学者であったO氏は、日本に帰ったため、小さな国立大学の名誉教授の称号も授与されぬまま、乾されて世を去った。
福沢諭吉という人を私はそれなりに評価しているのに、完全には尊敬しきれないで居るのは、此処にある勝海舟批判の一件が有るから。
徳川慶喜とか、明石元次郎とか、勝海舟的な生きざまをした人物の多く居た時代に居ながら、福沢という人は何だろう、という想いが咽喉に刺さるのです。
それにしても、チルドレンばかり増殖した結果、最早日本には鴇は絶滅して居なくなったのだろうか。瀬島龍三が最後の一羽だったのか、と思います。

投稿: K.Y. | 2007年9月13日 (木) 06時09分

尚道さま、お久しぶりです。

参謀論を瀬島氏は次のように書いています。
参謀又はスタッフの心構え
①重責にある将帥の補佐
②将帥の重圧を軽減する補佐を続ける
 若し功あれば将徳に帰し 
 若し失敗あれば補佐を全うしなかった責めを負う
③機・秘密事項保持に細心の配慮
参謀の業務は、
①情報の収集
②複数の策案が必要の時は
 二つなり三つなりの策案の利害得失を整理し総帥の判断と選択の参考に資する
③将帥が決断した時は、その実行を補佐し実行後のフォローをしなければならない。命令指示が出しっぱなしにならない為に。
と言っていますが、臨調の時の彼の行動はまさにその通りだった様に思います。

尚道さんが仰る様に今は、能が無い上に黒子になりきれる参謀が少なくなったと思います。今度の安倍首相にも瀬島が居なかったと思います。

投稿: Alps | 2007年9月13日 (木) 12時54分

K.Y.さま
瀬島氏のような人物が最近は殆ど居なくなってしまったのではないかという危惧は同感です。

歴史認識(2)にあるO教授の例は、身につまされる問題です。私の知っているMと言う男は、絶対に責任を取らないことで知られ特技は、白を黒と言いくるめる話術だった。そんな人間が何処にも居るものだなあと思う一方で、何でそんな人間がはびこる世の中になってしまったのか、だから今の世の中で悪が絶えなくなってしまったように思います。

名参謀が居なくなってしまったのか、育たない環境になってしまったのか。いずれにしても根は深い問題でしょうね。

投稿: Alps | 2007年9月13日 (木) 13時22分

Alpsさんのこの記事を見て、直ぐに図書館に行き、借り出しの申込みをしておいたのが、昨日漸く順番が回ってきて借りて来ました。今迄見ていなくて、今回が初めてなので知らなかったが、読書力が情けないほど衰えてしまった現在の私には本の厚さが、まず脅威でした。
でも読み始めると、引き込まれる思いで、昨夜80頁ほど読みました。
地方の農村の出身とは、言っても幼少時からの瀬島氏の素晴らしい人達との出会いというもには、何か神様が、この人に何かを託すと決めて用意して置いた様な特別なものを感じます。 特に、奥様との出会い。
それから、冒頭の写真がいいですね。
私が寝ている間に、愚妻もかなり、読んだ様子です。今朝寝起きの最初の愚妻の言葉が、瀬島家の夫婦喧嘩で、「出て行け」と旦那が言った時に・・・という話でしたから。
良い本を教えて頂いて有難う御座いました。

投稿: 二人のピアニスト | 2007年9月22日 (土) 10時34分

 瀬島龍三回想録をひたすら読み続けている者です。
 とりつかれたように読んでいます。

投稿: MK | 2008年3月16日 (日) 19時22分

MK様
コメント有難う御座います。私は瀬島龍三氏から直接お話を承った時以来、彼の強靭な精神力と国を思う心に傾倒していました。土光臨調の時の彼の動きを垣間見て矢張り彼の人格に惹かれていました。惜しい人がまた一人姿を消してしまいました。

投稿: Alps | 2008年3月17日 (月) 07時26分

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瀬島龍三氏の回想録、「幾山河」、を読み終えた。 この本は今迄見ていなくて、今回が初めてなので知らなかったが、図書館から借り出す時に500ページの分厚さに先ず驚かされた。 若い時にはかなりの速読家であった私だが、老化とともに視力も集中力も低下して、読書力が情けないほど衰えてしまった現在、この本の厚さが、まず脅威であった。 それを現在の私よりも更に半周り近く年長の時点で、この詳細克明な記述を綴った瀬島氏の凄さに恐れ入る。 これを読む気になった発端は、Alpsブログの記事:「幾山河」、を見て刺激され、直... [続きを読む]

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