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2007年9月 4日 (火)

再度、無言館

記録破りの猛暑、かてて加齢効果で夏ばてが酷い八月だった。しかし再度八月中に無言館を訪ねたいとの想いは強く、その根底にあるものは、あたら若い命を戦争のために散らした若者たちへの鎮魂の意味が深かった。

無言館続、無言館再び無言館に就いては既に書き記した通り。
再度無言館を訪れ、一歩館内に歩を踏み入れた時の胸を突き上げてくるような衝動は前回にも増して強かった。
十字形に造られた無言館の建物の壁に掲げられている戦没画学生の遺作の前に立ったまま、何時までも動こ2_3
うとしない人。経歴や、資料ケースの中の軍事郵便や遺影に向かって静かに手を合わせる人。同じ戦争経験を持っていると思われる人も、その人達に連れて来られたと思われる人たちも居る。
それらの人たちの胸にゆっくりと記憶の糸が解け始め、やがてその遠くに60余年前のことが蘇ってくると、館内には声にならない声がうねりのようにわいて来る。
人々は無言で絵を見つめ、無言で資料に眼を通し、潤んだ眼で無言館を出て行く。

今年改めて来て今までに無かった光景に出会った。
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無言館入口にキャンバスを据え、ただ黙々と描いている人達の居ることだった。そして彼等が描いているのは一様に無言館の絵だった。それらは私には恰も写経をしている人達の姿とラップして見えた。

「二人のピアニスト氏」のブロッグ記事で、終戦時における柳沢恭雄氏の事を知った。玉音放送の盤を命がけで守り抜いて、放送実現に努力した人の名前を始めて知って感動した。
それらの事実と今日の訪問の感動が綯い混ぜになってしばし無言館を離れることが出来なかった。

日米戦争のあったことすら知らない人が増えていると聞く。だからこそ戦争の悲惨さを後世に伝えてゆかなくてはならない。記憶とは頼りないもの。時の経過と共に事実を風化させてはならない。そのためにも無言館を訪れ、しみじみと味わって欲しいものと思う。

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» 終戦62年と柳澤恭雄氏の死 [二人のピアニストに思う]
柳澤恭雄さん(98)が、亡くなった。 終戦の日、1945/08/15の未明、NHKの内幸町放送局に乗り込んできた陸軍少佐が、玉音放送を中止し、徹底抗戦を訴える放送をさせるように、要求した。 このとき、柳澤氏は、これを拒み、拳銃を付き付けての強要にも屈せず、拒否しぬいた。 このために、終戦が実現し、無事に日本の戦後が始まったのであった。 その様にして獲得した戦後の平和は、どの様に使われ、どの様な価値を持つたのだろう。... [続きを読む]

受信: 2007年9月 5日 (水) 05時49分

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