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2007年7月17日 (火)

土井晩翠像

過日仙台の青葉城址を訪れた。
折りしも良く晴れた土曜の午後とあって、旅行者も含めて訪れる人が多かった。しかしその多くの人は政宗の騎馬像の周辺に群がっていた。矢張り仙台は伊達の城下町だなあとの想いを深くした。
Photo_49  双眼の(隻眼ではない)凛々しい姿の騎馬像は人目をひき、絵にも句にもなり易い要素がある。

しかし其処から少し離れた所に立っている、(騎馬像より)かなり小さな土井晩翠像の周辺は寂として静まり返り人影もなかった。

土井晩翠と言えば、「荒城の月の作詞者として有名なばかりでなく、男性的な漢詩調詩風で多くの読者を惹きつけた。第一詩集『天地有情』が発表されるや、島崎藤村と並び称される代表的詩人となり、作品には「星落秋風五丈原」や、「荒城の月」などのほか、校歌・寮歌にも大きな足績を残した。
詩集には天地有情(1899年4月)、暁鐘(1901年5月)等をはじめ数編があり何れも男性的漢詩的抒情に溢れる。

不朽の名作「荒城の月」を作詞したのは明治31年(1898)。晩翠27歳の頃である。
Photo_51
「荒城の月」は、作曲者・滝廉太郎が著名になった為、作詞者である土井晩翠の名を知らない人が或いは居るやとも思うが、それにしてもあれだけ大勢の人が政宗像を囲みながら、晩翠像の前に一人も居ないのは、位置的関係もあるかも知れないが少々寂しかった。

晩翠の代表的作品である「星落秋風五丈原」は、諸葛孔明の晩年を描いた詩で良く知られるように、
  祁山(きざん)悲秋の 風更けて 陣雲暗し 五丈原
  零露の文は 繁くして 草枯れ馬は 肥ゆれども
  蜀軍の旗 光無く 鼓角(こかく)の音も 今しづか
  丞相(じょうしょう)病 あつかりき
に始まって延々と続く詩で、晩翠の詩風を端的に表現している。
尚、本詩は或る宗教団体にも取り上げられたと聞くが、それと私とは全く関係ない。私はこの詩が好きなだけである。

私は人影のない晩翠像の前にしばし佇んだ。
憂愁を含んだ晩翠像に魅せられ、若き頃の晩翠に想いを馳せた。

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コメント

私の高校の校歌は土井晩翠の作詞であったから、入学して多数の寮歌を覚えるのに先立って、先ずそれを叩き込まれた。 しかし、晩翠の肖像画も写真も、一度も見たことが無かった。 初めてこの像の写真を見せて頂いての感想は、些か意外だった、ということ。 まさか騎馬像を想像していたわけではないが、和装で、もう少しゴツイ感じの人物かと思っていたら、実にスマートな紳士で、この人が、あの詩風の作品を残した人物とは・・・。
観光客が胸像に群れないのは、未だ良しとして、、荒城の月も歌われなくなるのは、寂しいですね。 幼少児は昔の小学唱歌を歌い、青少年は晩翠調の歌を歌ってくれる世の中には、もう、戻らないのですかネエ。

投稿: 二人のピアニスト | 2007年7月17日 (火) 20時12分

コメント有難う御座います。
昔の小学校唱歌にはそのまま情操教育に役立つような優れたものが多くありましたね。
「荒城の月」をとってみても今は、専ら声楽家が歌う以外には余り聞かれないし、その声楽家も中々歌わない。
島田佑子の歌は何となく綺麗過ぎて落着かない。立川清登の歌には晩翠を感じるが夭折したのが悔やまれる。

単なる懐古趣味ではなく、このような情操教育に欠ける教育が「物が心を食う時代」になっていると思う。
それにしても土井晩翠の胸像はスマートな感じがしますね。

投稿: Alps | 2007年7月17日 (火) 22時11分

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