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2007年6月27日 (水)

株主総会

6月は各企業の株主総会が開催される月でもある。

今年の総会は一部の会社を除いて比較的平穏な総会になった所が多い中で、総会の目玉の一つは「企業防衛に関する対策や決議」がなされたことが挙げられる。Y社もその例に漏れない。Y社に限らず各社の対応内容は、夫々の事情によってまちまちだが目的は共通している。株主総会の内容も時代背景が色濃く滲んだものに変わってきている事を感じる。

余談だがY社の株主総会終了後、出席株主へのサービスの一環として、宮谷理香さん(1995年ショパンコンクール5位)のピアノ・ミニリサイタルが行われた。曲目は、
   ドビュッシー作曲  「月の光」
              「喜びの島」
   ショパン作曲    「幻想即興曲」
              ノクターン7番 嬰ハ短調
              エチュード5番 「黒鍵」
              エチュード12番 「革命」
で、株主総会の会場をそのまま使って行われた。会場はY社の技術棟の中のホールで音響効果も良く、曲目も馴染みやすいものが選ばれ、演奏も深味があって素晴らしかった。その上使用したピアノは新開発のフルコンサート・ピアノとあって出席者も堪能して帰ったのではないかと思う。

一般的に開催される演奏会とは異なって、このような場での演奏は格別な雰囲気がある。
「幻想即興曲」は、ショパンとジョルジュサンド、マジョルカ島を連想させてくれるし、「革命」は私の子供たちが随分弾き込んだ思い出の曲なので一層感銘を深くした。

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2007年6月24日 (日)

競争原理

月に1度所用の為に靜岡に出かける。行きは時間的にも余裕があるので東海道線(在来線)の浜松発上り列車に乗車することが多い。新幹線とは違った情緒があって結構楽しい。
その車両のタイプは下の写真のような所謂、通勤型車両である。
Photo_43
所が最近、大垣や岡崎へ句友と一緒に出かける機会があって、同じく東海道線の浜松発下り列車に乗車すると車両が全く違う(写真下)。
Photo_44
その上、特別快速も頻繁に出ているので急行料金も払わずに急行と同じ早さで目的地に行ける。但し浜松・豊橋間は各駅停車でそれ以降が快速となる(註:上りには特別快速はなく急行は、ちゃんと急行料金を払う)。

同じJR東海で乗車賃も同じように払っていながら、この差は何処から生まれるのだろう。JR東海に言わせると色々尤もらしい事を言うに違いないが、豊橋以西には名鉄が走っているのでその対抗措置としてこのような差が生じている事は今では誰でも知っている。

矢張り競争原理の働かない社会では利用者や消費者にその皺寄せが来る事が頷ける。勿論最近のように理念の欠けた経営者による過当競争は論外である。
余分な事だが新幹線は浜松から東京行きは便利だが、大阪行きは名古屋乗換えが多く不便である。

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2007年6月 9日 (土)

恋路ケ浜

6月6日伊良湖方面へ。
田原市博物館、崋山の足跡、古窯跡そして岬端散策。始めて通る道だった。
博物館では崋山特別展が開催されていて、崋山の業績紹介や書簡、また彼の良くした絵画その他の貴重な展示品があり感銘を深くした。
博物館に程近い池ノ原公園内に、渡辺崋山幽居跡と隣接して自刃の間がある。
資料に依ると、渡辺崋山は、天保8年(1837)、米国船籍のモリソン号が日本に通商を求めるために来航し、幕府が「外国船打払い令」により砲撃して退去させる「モリソン号事件」が発生した。幕府の強硬論に対し、渡辺崋山は『慎機論(しんきろん)』、高野長英は『戊戌夢物語(ぼじゅつゆめものがたり)』を執筆し、慎重論をとった。蘭学者らと交友し、影響力をもっていた崋山の存在を警戒していた幕府は、これを理由に崋山と長英を処罰した。
Photo_39
写真は池ノ原公園内にある崋山幽居跡である。
この時代は先覚者が世を乱すものとして幕府から迫害を受けた時代で崋山もまたその例に漏れなかった。
田原藩家老職にあった崋山はこの件で、主君に迷惑の及ぶのを恐れて自害して果てた。

古窯跡は資料に依ると、平安から鎌倉時代に活発に生産活動が展開された渥美古窯の一つで、3基の窖窯が保存されている。奈良東大寺鎌倉再建時の瓦を焼いた窯跡で、「東大寺大佛殿瓦」と刻印された軒丸瓦や軒平瓦、平瓦などの瓦や瓦経、瓦塔などの宗教用具が出土している。

古窯館の横からは、風力発電の風車が見える。
Photo_41
太平洋に向かってゆっくりと廻っている風景は絵になる風景だ。

2000年現在の日本の発電量の比率は(電気事業者のデータに依れば)、火力56%、原子力34%、水力10%で後は、地熱・太陽光・風力発電等を入れても1%にも満たない。
これは日本の場合であるが欧州や米国では、夫々の国情・国民性・思想・地理的条件等色々考えられるが、地球温暖化の見地から、風力発電の比率を上げていると聞く。
風力発電の長短所やコストパフォーマンスは別として、短所の一つに落雷頻度と鳥が被害にあうこと(バードストライク)が挙げられている。

ところで此処渥美半島の先端、伊良湖岬は島崎藤村の「椰子の実」の歌で有名であるが、一方、秋ともなると数千羽の鷹の渡る中継地点として知られ、多くの俳人やカメラマンが訪れる。聞き洩らしたが鷹渡る名所に、鳥にとって危険な存在である風力発電の風車が並んでいるのも皮肉な取り合わせと言えなくもない。

岬の先端には燈台があり、灯台から太平洋岸に面して日出の石門(ひいのせきもん)までの約1kmを恋路ケ浜と言い、太平洋の荒波をうけて湾曲する美 しい砂浜である。また、ここは数々の「日本の百選」(道・渚・白砂青松・音風景)に選ば れている。
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恋路ケ浜とは口当たりの良い地名だが偶々訪れた時は、波が荒かった。  

  鷹一つ見付けてうれしいらご崎  芭蕉
  夢よりも現の鷹のたのもしき     芭蕉
  紅暗し崋山の遺物落椿        羽公
  発電の風車ゆるりと梨の花       

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2007年6月 5日 (火)

草より蛍掬ふとき

   指青し草より蛍掬ふとき  

俳人協会・俳句文学館発行、平成19年6月の俳句カレンダーの巻頭句である。作者は大岳水一路氏で、瀬戸清子氏の解説文がある。

『黄昏から深い闇へと移行するとき、ほうと草叢から洩れる蛍の明滅。呼応するように始まる光の交信が、時空を超えた幽玄の世界へと誘う。思わずその光へ手を伸ばす。上五に据えた、「指青し」のとおり蛍はまさに草の色をまとった緑を帯びた青い光。指はその青に染まる。つづく「草より蛍掬ふとき」と流れる言葉の調べがこの句の趣をさらに優美なものにしている。
 蛍を捕らえた手を掬ふという措辞で無数の蛍の存在を暗示し、しなやかな掌の動きが影絵のように浮かぶ。
 掬う手に包む蛍の息づかい、掬った指の間から零れ落ちる蛍の命の煌めき。
 指の青さに焦点を当てながら、蛍の命の儚さやそれをとりまく闇の深さをも感じとることができる。
 この作品は、先年福岡で催された「俳句朝日」九州俳句大会の前夜、選者の皆様方の"蛍狩り吟行会"の折出句され好評を得た句。
 作者の水一路師は、吟遊詩人。吟行の行く先々での会話が名句となり私達を感嘆させる。蛍の季節になると諳んじる一句である。(瀬戸清子)』

最近は蛍を見る機会がめっきり少なくなった。昭和10年代の信州の片田舎には、夜ともなれば水路に蛍が群れていたのを覚えている。
ガキ大将を先頭に籠を持って蛍を取りに行った。蛍籠の中には霧を吹いた草を入れ、採ったばかりの蛍を入れてその幻想的な明滅する光を楽しみながら帰った。
ガキ大将は水路の危険箇所を良く知っていて、夜の危険な水路なのに事故などを起した例を知らない。古き良き時代だった。

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2007年6月 4日 (月)

梅雨に入る

    選果機の穴の大小梅雨に入る

蜜柑の選果機も今はシーズンオフで、入梅時の薄暗い倉の隅にひっそりと眠っている。選果機のドラムに開けられた大小の穴が、暗い口を開けているのが印象的だ。

蜜柑の選別作業は良く見かけるが、掲句の場合は選別基準はサイズである。
選別された蜜柑は夫々ところを得たと言う感じもあるが、一方では一所懸命に育った蜜柑が、たかがサイズという基準だけで選別されていく景には一種の哀歓が漂う。
コンベアで選果機に送りこまれる蜜柑が、大きさの違う穴の中に夫々選別されて吸い込まれてゆく。出来の悪い選果機もあろうが、蜜柑に機械を選択する自由はない。無心にドラムの上で踊っている蜜柑には哀感がある。

選果機は今も入梅の倉の片隅にひっそりと眠っている。

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