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2007年5月 9日 (水)

真田氏本城址

長野道の上田・菅平ICで降りて菅平方面へ、車で走ると間もなく真田町に出る。
ここは真田氏発祥の地として知られている。町には真田氏歴史館があり真田氏の歴史を物語るものが数多く展示されている。
其処から車で10分も菅平方面に向かって走ると右手に真田氏本城址へ行く道がある。その道を暫く行くと城址の駐車場に出る。其処から歩いて5分くらいで頂上に登る事が出来る。其処から真田町、更にはその前方遥かに上田市街が望見出来る(写真)。A
丁度5月の節句時でもあり、鯉幟が頂上から山麓に掛けて長く連なり風をはらんで見事だ。

城の由緒書に依ると、
「この城址は天白城とともに、馬蹄形につくられ、南西面に広がる緩やかな斜面は、真田氏館跡や原の郷へと続き、さらに指呼の間に砥石城・矢沢城を望むことが出来る。
本郭は、東西9m、南北37mの広さで、南側に高さ2mの土塁を築き、北方へニの郭三の郭と段差を設けながら延び出し、その北側は急崖となって厳重に防備している。
規模は大きく、水利もあり、周辺城址群の位置的関係等から見て上田築城以前の真田氏本城であったと推定される。」
と、ある。
A_1 山城と言うより丘城といった方がよいこの砦を築いた頃の真田氏は、恐らく東信濃の一小豪族に過ぎなかったであろう。
真田幸隆時代になって頭角を現し始めた。坂城の豪族村上義清に真田の地を追われていた幸隆は、川中島の合戦で武田方として大活躍し、更に義清の居城である砥石城を攻略して、東信濃一の豪族となった。
幸隆のあと真田家を継いだのは昌幸。二人の兄が長篠合戦(天正3年・1575年)で討死したため家督を継ぐことになった。天正10年武田氏が滅亡後は苦心惨憺して真田家の維持発展に努め、天正12年頃上田城を築いて真田の地位を不動のものとした。以降昌幸、信之、幸村の数奇な運命は世に広く知られている。

今この城址は夏草に覆われ、家族連れで賑わっている。戦国時代の苛酷な真田氏の話は、物語風に伝えられているに過ぎない。
時恰もNHK大河ドラマの影響もあって、六文銭の旗印と共に、風林火山の幟も到る所に翻っている。そんな中でボランティアの人々が城址の手入れをしているのが目に付いた。

   戦なき世をしみじみと菖蒲風呂
   城跡に礎石もあらず若葉風

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