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2007年4月18日 (水)

世界遺産

富士山のある静岡県に住んではいるが、家からはよく晴れた日に富士山の天辺が漸く見える程度。裾野まで見はるかすことの出来る場所を新幹線や、車で通っても、頂上から裾野まで見える富士山にお目にかかる機会が少なかった。

所が3月下旬に日本平から久能山に行った時、全く僥倖にも裾野まで含めて富士山全容を見ることが出来た。秋とは違って春霞がかかっていたがそれでも充分だった。写真は当日の、日本平からの眺望である。
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遠望する富士山は矢張り美しい。
私が富士山の1合目から頂上まで歩きづめに歩いた時代は遥か昔のこと。今は5合目まで車で行きそこから登山の出来る時代となった。恵まれた時代と言ってよいのかどうか兎に角時代は変った。

役(えん)の行者の山岳信仰に依れば頂上は神の住む所。
其処へ今は夏ともなれば延々長蛇の列の登山者が登って、頂上は人で溢れる。
そんな中にあって一部の心無い連中の、山の神聖さを汚すような行為は、山登りのモラルに欠けるだけでなく、富士山を世界遺産に登録しようとする運動に水をさす行為としか思えない。富士山が世界遺産として適当であるか否かは別次元の問題である。

それにつけても、かつて北欧諸国へ出張した時の、道辺に塵一つなかった光景に感心し羨ましいと思ったことを思い出す。

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2007年4月 9日 (月)

合同句集「きたまど」

毎年今頃になると合同句集「きたまど」がK子さんから送られてくる。
今年は第28号になる。今年も亦、選者までいれて23名の合同句集となる。
継続は力」とは言え、28年も続けるのは容易な事ではない。関係者の協力は勿論ながら選句・編集・校正・製本等に当たられた人の努力は大変だったであろう。
きたまど句会は、宇都宮市、鹿沼市在住の有志俳人が夫々の一年間の労作から各10句を選び、それに一言づつ夫々の想いを載せているのが特徴で、俳句も素晴らしいが綴った想いが又素晴らしい。
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選者であるT氏は、俳句における取り合わせの妙について芭蕉や子規の言葉や注釈を引いて解説を試みていて判りやすい。

又、本合同句集の作者達の夫々の一言にも、想いが籠もっていて興味深い。例えば、
俳句は作者の手を離れると、もう読み方のものとなる。17文字に秘める想いを1字たりともおろそかに出来ない事を訴え、対象と真剣に向き合っているうちに対象が訴えかけてくるものを感じ取るようになってくると言う。
奥の細道を辿る旅を続けたり、おわら風の盆に魅了されたり、故郷の川に自然が戻りつつある事に感激したり、各地の旅行記や、K子さんのように今も(俳句とは直接関係のない人とも一緒に)歩き回って楽しみながら俳句を作る人も居れば、地球温暖化と自然のありように就いて一石を投じる人も居る。或いは水原秋桜子に学んだ大島民郎氏が言う、「平明・感動・省略」を作句3ケ条として句作の原点として書いている人も居る。

句集の中から好きな句を拾ってみる。
   堂ふかく忿怒の皓歯冴返る
   源泉の噴気を掠めほととぎす
   蕎麦咲くや生絹の波の三段歩
   短日や栞をはさむ文庫本
   天高し掴まり立ちの二歩三歩
   山葵田や流るるごとく蟹歩む
   安達太良山(あだたら)の化粧直しの春の雪
   桃活けて伊達の城下の京染屋
   母生きてあらば百歳桃の花
   小走りの巫女の目礼秋凉し
   襖絵の少しゆがめる梅雨館
   お点前で締めくくりたる女正月
   山鳩の羽摶ちたしかに森九月
   眉月に色の帯びくる二日かな
   自動ドア出で凩の張り手くふ
   聖樹の灯とどかぬ側に易者の灯

K子さんとは、2003年7月2日北海道の旭岳で会った。ロープウェーを降りて山路を句友と歩いていた時に、同じ道を一人で歩いていた彼女に出会い話しかけたのが縁で一緒に歩いた。彼女はあちこちの山を歩いていると言う。私達の仲間の中に多少脚の遅い人が居るのを気遣って、健脚である彼女は常に殿を歩いていたのが今も印象に残る。

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2007年4月 5日 (木)

旧知のごとく

4月3日は良く晴れて温かく、晩春の気配を色濃く漂わせていた。浜松駅前のアクト・タワーもすっきりと美しくその威容を誇っていた。
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生活環境の中で共通項を持つ二夫婦が浜松で会った。

初対面なのに30年来の知己のように話が弾んだ。
共通項が話の中心である事は当然なことだが、互いの情報を交換し合い、語り合い、夫々が経験した諸々の事を思い出すままに話し合う中で話題はどんどん広がって、来し方から行く末にまで及んだ。

足下に開けているのは都田川が奥浜名湖へ注いでいる景観の地。景色を楽しみながらの語らいは時間を忘れさせた。何時までも記憶に残る素晴らしい出会いだった。

  女より選ばれ君を男より
    選びし後のわが世なれ是れ(与謝野晶子)
  勲一等授かりしどの政治家も
    分に過ぐるといふ顔をせず(竹山 広)
  おもねりて歌ふ勿れよただ一度
    生くるいのちはただ一度なる(坪野哲久)
  たどりつきふりかへりみればやまかはを
    こえてはこえてきつるものかな(河上 肇)

会話に絡んで、こんな短歌を思い出していた。
      

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黄砂降る

我が家の近くに桜が満開になると恰も花のトンネルのようになる名所がある。今月2日はそのトンネルは黄砂の空の下にあった。
      黄沙いまかの楼蘭を発つらむか   藤田湘子
    うつむきてひた行く驢馬や黄砂降る 坪井澄郎
   太陽を遠きものとし霾(よな)ぐもり  浅利恵子
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この日は一日中遠州地方は黄砂に覆われた。浜松に住みついてからこのかた、未だ嘗てこのような酷い黄砂に覆われた遠州地方を見たことが無い。
普段は近くに見える山も丘も、高層ビルも家も工場も全部霞んだ。本来なら浜松駅前のアクトタワーの展望レストランから見える筈の遠州灘も全く見えない。灰色一色の世界だった。
その翌日の3日は良く晴れた。細江の国民宿舎から望見する奥浜名湖や流入する都田川も、浜名湖を渡る東名大橋を往来する車までが見えた。寝釈迦山はその姿を優雅に見せてくれた。
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そして4日は予期しない荒天に見舞われた。13時過ぎに突如起こった暴風と横殴りに吹き付ける霙に近い雨は冬に逆戻りの感があった。それはたかだか30分ほどの出来事だったが干していた蒲団を濡らした家もあった。風雨が止んだ後も青空と厚い雲とが交互に空を占める変りやすい天気となり、前日(3日)の陽気が嘘のように寒風が荒れた。

矢張り異常気象と言っても良いのではないか。そう言えば台風時と同じく気圧が1000hpを割ってしまう日が時々ある。そんな日は決まって強風が吹き荒れる。

これでは花もおちおち安心して咲いても居れない。
   

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桜月夜

俳人協会・俳句文学館発行、平成19年4月の俳句カレンダーの巻頭に古賀まり子さんの句が掲載されている。

      閂乃許止利止沙久羅月夜可奈
    (閂のこ と り と 桜月夜かな)

この句に就いて、片山由美子さんの解説がある。

『満開の桜は夜目にもしろじろと見えるが、折りしもの月夜で、昼にもおとらぬ美しさである。
 「桜月夜」は、いうなれば「雪月花」の月と花を同時に味わうことができる夜であり、「桜月夜」という言葉じたいが美しい。
 閂によって閉ざされたのは城門か、あるいは昔ながらの構えの屋敷の門か。いずれにしても、桜月夜を惜しむかのように閂を掛けずにおいたのだろう。しかし、いよいよその門も閉ざされる時が来た。それを「ことり」の一言で描ききっている。人影のない静けさの中で、その音もまた、桜月夜の趣のひとつとして響く。
 閉ざされた門の内側には真の闇が満たされてゆくばかりだが、外はいよいよ月が晧々と輝き、桜は妖しい美しさを増す。そんな光景を読者は思い描き、まるで舞台を観ているような気持ちになるのである。そこでは、作者と読者が美の空間を共有する。単純化された表現によって、無限とも思える世界が拡がる一句となっている。(片山由美子)』

私の句友に、古賀まり子さんを良く知るSさんが居る。
Sさんに依ると、「古賀さんは、終戦後間もなくの頃、今から見ると随分貧弱であった医療機関全般の中での闘病生活にありながら、何時も前向きに、希望を持ち続けていた。強い意志と気迫を感じる人だ」と今も敬意を表している。そう言うSさん自身が同じ経験を経ながら献身的に周囲の人に奉仕している姿にも同じものを感じる。

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