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2007年1月13日 (土)

遠州のしなの

信州の出身者又は信州に深い係わり合いを持つ方で現在、遠州地方在住の人々が集まって作った親睦団体に信濃会がある。年に一回総会を開き会員相互の親睦と友情と連帯感を深めている。今年も3月に第28回総会が開催される。
その際、機関紙(文集)「遠州のしなの」が発行される。しかし御多分に漏れず会員の高齢化と会員数の自然減により文集の発行が段々困難になってきている。対策の第一は、口で言うほど容易ではないが、新規会員募集と特に若い人達の入会だが、取り敢えず「遠州のしなの」の現状を概観してみる。

毎年一回発行される信濃会の文集「遠州のしなの」も数えて第27号になる。遠州地方にも幾つかの県人会があるが、このような纏まった機関紙を発行している例を知らない。

昭和56(1981)年3月1日創刊号を発行してから今日まで、会員夫々の想いを綴ってきたこの文集は又、信濃会の歩みそのものとも言える。
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創刊当時から今日までの27年間に時代は、20世紀から21世紀へ、昭和から平成へと大きく変った。僥倖な巡り合わせで世紀の変わり目を見ることが出来た私たちの感慨も文集の紙面を多く飾った。忌まわしい戦争に身を挺し、戦後の復興に尽力し、現在の繁栄の礎を築いてきた人たちにとっては、身に沁みて戦争の悲惨さと平和の有難さを後世に語り継ぐ使命感にも似た想いがある。

しかし最近は戦争を知らない人も増えた。2006年に放映されたNHKの「純情きらり」という朝ドラが、あの暗く悲惨な戦争中の生活を浮き彫りにし、はしなくも歴史の語り部の代役を果たしているようにも思えた。あのドラマに当時の事を回顧し今を生きている幸せを感じている人も大勢居るはずだ。あの時代は今の生活レベルから見ると、確かに貧しい時代だったが、当時はそれ程貧しいと言う実感はなかったし半面、助け合い分かち合うといった心は今の世に比べて遥かに豊かだったように思う。今は、「ものが心を食う時代(金子きみ)」に思える。20世紀後半に、それ以前の優れた教育制度を改悪した影響が根底的に大きく影を落としている事は否定出来ない。

人生は出会いである」と言う。出会いとは、鉄道のポイントの様なもので出会いによって人生の進行方向がすっかり変ってしまう事も少なくない。文集も亦、文章を通じて筆者の経歴や人格と出会い、お互いの理解と連帯感を深める。例えば、文集4号に「信州から遠州に出てきた理由」に就いてのアンケート調査があった。私は「Y社に就職するのが単純理由。当時Y社は今ほど世に知られていなかったが偶々恩師が浜北の出身だったこともあり、Y社を薦めて頂いたのがきっかけだった。浜松は気候が良い所とか、言葉が多少荒い所とか、他所者でも気楽に受け入れてくれる所等々の予備知識は皆無だった。勿論浜松に一生住みつくとは考えたこともなく、思えば出会いとは不思議なものである」と述べている。また「一番印象に残っている故郷の思い出は何か」の問いに「信州のあの厳しい自然環境の中で小作人の悲哀を一身に負った形で早朝から深夜まで一所懸命に働き続けた母の生き方を抜きにして信州の思い出はない。母の思い出は即、信州の思い出であり、心の拠り所でもある」と述べているがそれは今も変らない。

文集はこのように活字を通して、会員相互の理解と親睦を深めてきた。飽食の時代と言われ、心の荒ぶ時代と言われる現在の風潮の中で、文集に寄せられる会員の率直な声には心を打たれるものが数多くあった。素朴な表現の中に本質を捉えた文章は胸に迫る。文集にはその人の生きてきた証しの様なものを感じ取ることが出来る。このような文集を永続させたいとの願いは会員の等しく感じているところであろう。

しかし高齢化現象は、信濃会会員にもその影を落とし、会員の高齢化と会員数の減少にもつながって現在に到っている。文集への投稿も年を追って少なくなってきているのは事実である。もっと会員の声を聞きたい、聞かせて欲しいと思う一方、時代の推移と文集発行の困難さを感じないわけにはいかない。

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