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2006年12月31日 (日)

戌から亥へ

2006年も愈々押し詰まった。21世紀になってから7年目を迎えようとしている。十二支で言うと戌から亥へ変る。何時も年末になると翌年の十二支の焼き物の酒器を、懇意にしているSさんが届けて下さる。来年は亥年。酒器も戌から亥へ変る。縁起物の焼き物である。
Photo_6
焼き物の中身は正真正銘のお酒。酒器の裏側にちゃんと注ぎ口の栓が付いている。
Photo_9 この作品のデザイン・原型は、信楽焼伝統工芸士 上田和弘(彩煌)氏による造形で、どれも可愛らしい動物が夫々の特徴を見事に現して美しい焼き上がりを見せている。Sさんの特注品とあって、楽しい焼き物である。飾って眺めて子供や孫たちの集まる正月に栓を抜いて新年を祝うのが恒例となっている。
酒器の動物は陽気でユーモラスな感じがして、それが正月気分に相応しいし、床の間に1年間飾っておくのも明るい1年を送りたいとの願いである。

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2006年12月24日 (日)

年の港

俳人協会・俳句文学館発行の俳句カレンダー12月の巻頭に富安風生の下記の句が掲載されている。この句に就いては保坂伸秋氏の鑑賞文がある。

しみじみと年の港といひなせる   富安風生

【鑑賞】 明解な境涯句   保坂伸秋

  しみじみと年の港といひなせる
 私は今、この色紙を前にしている。この句は昭和五十一年の歳晩の作。この色紙には、九十三叟風生と認められてある。
 先生は季題について「俳句において季題が強くものをいいますのも、季題というものが、いずれもそのうしろに大きな背景を負っており、暗示的な意味が強く幾多の連想と繋がっているからなのであります」と述べて居る。
 「年の港」は「年の暮」の傍題の一つで「年の湊」の事であって「年のゆきはてるところ」の意。この句は先生の心を通して、季題を詩語にまで昇華されたと言える。
 俳人協会の自註現代俳句シリーズ『富安風生集』に、「"年の港"という語を歳時記に得た。誦して飽かず。姉妹句に"波風に舫ひて年の港あり"あえてこの二句を掲げることをもって結びとする」と、筆を擱いてある。
 先生の風格が季題に乗り移ったような毅然とされた言葉、「いひなせる」に、全てが凝縮され、一読明解な境涯句の一つ。
                (以上、保坂氏の鑑賞文)

2006年も愈々押し詰まった。掲句はそんな状態を端的に表現してしみじみとした余情を感じさせてくれる。
富安風生は1885(明治18)年生まれ。1928(昭和3)年請われて俳誌「若葉」の主宰となる。
山中湖畔の文学の森には、徳富蘇峰記念館や三島由紀夫文学館と共に、俳人・歌人など多くの句碑・歌碑が点在し、特に富安風生句碑は七つを数え、私が此処を訪づれた6月頃は「俳句の館 風生庵」は、Photo_8 万緑の中にひっそりと佇んでいた。せせらぎの音やホトトギス・郭公・鶯の鳴き声が聞え、朴の花、草むらには美しい花が顔を覗かせていた。山気も充満し、木間から山中湖が散見出来る。此処で風生の詠んだ、
    満月を生みし湖山(こざん)の息づかひ
は良く知られている。

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2006年12月10日 (日)

死生観

信州の或る篤農家の話として、2005年8月に「忘れない」を、2006年5月に「生きる」を書いた。
篤農家の名前はK.H.さん。夫婦二人で精励し、親から受け継いだ田畑を守り、清貧に甘んじて昔のままの家に住み、地域に貢献して今日に到っている。
親からの田畑を手放してその金で家を新築する趨勢を横目に見ながら、頑なに農に徹し、自分を見つめ自分に誠実に生きてきた人である。

毎年丹精を込めた手作りのものを送ってくれたが、この年末にも立派な林檎を送って頂いた。ご夫婦の御歳からして、予想もしていなかっただけに驚くと共に感動した。見事な出来栄えと素晴らしい味には心が籠もっていた。
何時も達筆な書面が添付されている。今度も多少不自由になった手であろうのに、矢張り達筆な手紙が便箋4枚にびっしりと書かれていた。
061203

「矢張り小生も老齢には勝てないようです。長い間続けてきた百姓生活も終着駅に着いた感じを覚えた今年の1年になりました。
加えて若い頃から苦労をかけ続けて来た女房が昨年末、膝を痛めて杖を頼りの日常になってしまいましたので、若い連中が百姓を止めさせない様に、色々手伝ってくれていましたが年毎に気持の負担が重く感じられるようになりましたので、今年を以って一区切りをつけようと、皆に死生観の迷論を語っています。(註:ご夫婦には、お子さんがいらっしゃらないので、此処に言う若い人とは、応援に来て下さる近所の若い人達を指す)。

級友、戦友そして国鉄時代や百姓時代の友人たちと、自分には過ぎた多くの人々との恵まれた人生の渦の中で今日まで楽しく過ごして来ましたが、近年頓に多くの訃報が届くようになりました。人間一般的には長生きを希望もし、幸せだと言われていますが、多くの親しい友に先立たれ、何かしら取り残された様に生き残っている淋しさとも悲しみとも言い表せない愛惜の念を覚えるのは、矢張り人間の一つの大きな試練の宿命の様に感じている昨今です。
  朝露を踏むこと少なき地下足袋を 
        散歩に履きて畑田をまはる
振り返ると小生の一生も、百姓という自然の中で生きる環境でなかったなら、八十余歳の今日までは生きられなかっただろうと思いますが、多くのことが中途半端のままに過ぎてきてしまった自責の念を覚えています。(註:これだけ農に徹しきって生きてきた人は、私が直接会った人の中では、他に例を知らない)。

我々世代の人間が時代の流れの対応の中で、色々苦労しながら世の中を支えてきたが、現在の世相を思う時、果たして恵まれた地球環境の中で、人の心の幸せと生活の豊かさを生み出す努力をしてきたかという、最も人間の生きると言う原点を思う時、小生は大きなを感じていますが今更ながら為すべき自分の力の小ささを恥じ入るばかりです。それはともかく若い者に手伝って貰いながら実らせた林檎を一荷送ります。食味は温暖化現象の為、一味足りない事(註:そんなことはない、素晴らしい色と、信州の篤農家の丹精込めた味は最高だった)を前以て言い訳しておきます。   K.H生より」
と、書かれていた。                                     

折りしも太平洋戦争の開戦日。戦争に3年間従軍した経験のある、K.H.さんには亡くなった戦友も含めて、想い一入のものがあったであろう。

長い間苦楽を共にしてきた夫婦にとって、人間の生死という問題は、極めて身近な問題であり、特に苦労をかけた伴侶を労わり合う気持は、私には骨身に応えて身に沁みる問題である。
人間の生き方に就いてまたまた考えさせられた。

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