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2006年7月18日 (火)

良い子は此処で遊ばない

過日、岡崎を訪問した時、ご案内して下さった方から、「昔はこの辺は『良い子は此処で遊んでる』と言われた。ところが今は『良い子は此処で遊ばない』と言って、遊ばせない。堀があったり、石垣があったりで危険だからと言うのが理由らしいが、世の中も、我々の小さい時と変ったものですね」という話を聞いた。
Okazaki2
この辺がそんなに危険なのだろうか。この辺で兵隊ごっこか、隠れんぼか、陣取り合戦か、兎に角昔の子はこの辺を遊び場にして走り回っていたに違いない。

隠れんぼ、陣取り合戦、兵隊ごっこ、ちゃんばらごっこ、缶蹴り、糸電話、足じゃんけん、棒倒し、石蹴り、下駄飛ばし、水鉄砲、福笑い、蝉取り、綾取り、輪投げ、等々外で遊んだ昔の子供の世界は今は見られなくなった。昔の子は貧しかった(今から考えると)が、別に貧しいとそれほど感じていたわけではないように思う。集団で遊び其の中で、長幼の序も、社会正義のあり方も学びながら逞しく育っていたように思う。

生活様式も、家族制度も変り、昔に比べたらよほど恵まれた生活の中にあって、今更昔の生活に戻る事は出来ないが、小役人が頭の中で考える教育のあり方より、昔のあり方をもう一度考え直す必要はないか。海外援助なども自分の尺度も必要だが、相手が其の生活をどのように受け止めているかを知ることが大切な事ではないか。

岡崎の天守を仰ぎ、話を聞きながら、そんな事を考えていた。

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コメント

前々回のエントリー「岡崎きらり」を拝見して、歴史と伝統を大切にする岡崎の人々は良いなあ、と感動した。 その岡崎の地での、この話は悲しい事です。
事故が有ると困るから、学校から学童は水泳には連れて行かない。体育館の用具は処分する、などが、大都会の教育現場で行なわれる様になったのは、御説の通り、小役人の発想の結果でしょう。

でも、今回のエントリーで嬉しく思ったのは、岡崎では未だ、子供が遊ぶらしい、と知ったこと。
大都会では子供は全く遊ばない。その為、身のこなしの悪さは目に余るし、電車・バスで見掛ける超肥満で身体を持て余している姿は哀れを通り越している。
人混みの中で、前に居る人にぶつかったり、は、子供の時に遊ばなかったからだと思うので、遊ぶ子供が居るだけでも、岡崎は東京よりも良いのかもしれない、と思いました。

投稿: 二人のピアニスト | 2006年7月19日 (水) 02時19分

地方都市に行くと、地方都市の素朴さを感じて帰ることが良くあります。岡崎などもその例に漏れず、素朴さと落ち着きのある事を強く感じます。
岡崎ではこの23日に「おかざき塾歴史教室」が開かれ(定期的に開かれて歴史の勉強を続けている)、家康に纏わる、井伊直政(井伊家が実質的に台頭する重要な基礎を固め、彦根城主になった人物)を中心とする勉強会が開かれる予定になっている。こんな、地に着いた活動が岡崎の街づくりの一端をになっているようですが、大都会の悪しき影響がじわりじわりと地方都市に及びつつある風潮を懸念しています。

投稿: Alps | 2006年7月19日 (水) 10時36分

話がくどくなって恐縮だが一寸補足を。
電車駅の改札口を出た混雑の中でぶつかる事が多くなったが、これは相手の若者の無神経や悪意によるものでないと思う。何故ならば、その場合、5人に4人は瞬間的に先方から「御免なさい」と声が掛かるから。
昔は接触する寸前に出来た、身のこなしによる対応が出来ないのは、幼少時の遊びによるトレーニングが無くなったためだと考えた次第。

投稿: 二人のピアニスト | 2006年7月19日 (水) 21時09分

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