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2006年6月28日 (水)

遠州大念仏

三方原合戦(こちら)に就いては史実として知られているが、其の主戦場は特定出来ていない。其の中にあって、主戦場ではないが、唯一特定できるのが、犀が崖古戦場(こちら)である。

其の戦で、地理不案内の武田軍を夜襲して、犀が崖に追い落とし、多くの将士が命を落とした。其の霊を弔って僧、宗円が念仏供養をしたのが、遠州大念仏の始まりと言われるが、今は初盆の家の要請によって行われるようになった。以下、ネット情報から要点のみ抜粋して引用する。

「徳川家康は,毎年7月13日から15日まで、退転なく大念仏をおこなうよう布告しました.(徳川家康により,遠州大念仏は三葉葵を使うことを許されています.)
それ以後,地元の人々は宗円堂に集まっては念仏供養を盛大に繰り広げるようになりました.(注釈:元々はお盆や初盆とは直接関係はなかったようです.)

江戸時代の大念仏
宗円に踊念仏の手ほどきを受けた村人は,それぞれの村に帰ってその手法を伝えました.元々宗教色の強かった大念仏ですが,時が経つのに連れて次第にそれぞれの村での娯楽の一環としての側面が強くなっていきました.(注釈:お盆,初盆宅での供養はこのころ定着したようです.)
時が経つとともに,遠州大念仏の各組の間では次第に覇権を争うようになり,服装も派手になり,組み同士での争いが絶えなくなりました.
そこで,規則や禁止令が打ち出されるようになりました.
たとえば町中では遠州大念仏が禁止(混乱を招くため)になりました.
(注釈:現在,遠州大念仏を継承してる組が浜松の市街地になく,周辺地区に限られているのはこのためではないかと思われます.)
また,あまりにも争い事が多いため,一時,全面禁止にしましたが,農民たちの反対や署名運動(争い事をしないので許可して欲しい旨)などもあり,なかなか禁止できなかったようです.

明治,大正時代(第二次世界大戦前)
このころになると,遠州大念仏創始の由来や意味などを伝承する組もなくなり,宗教色がすっかり薄れてしまいました.
危機感を感じた有志の人たちは,継承する組を一組づつ説得し,遠州大念仏団という組織を作って再興を目指しました.
戦勝祈願や戦没者などのために供養をおこない表彰されています.
第二次世界大戦においては物資供出のため双盤(鐘)を供出したため、大念仏の供養ができなくなりました.

戦後
遠州大念仏団を中心として供出した双盤を取り返すための運動がおこなわれましたが,なかなか取り戻すことができませんでした.
戦後は,静岡県,浜松市,浜北市から無形文化財として認められています.」

以上は概略ですが、現在の大念仏は、無形民俗文化財に指定され、初盆を迎えた家を訪れて庭先で大念仏供養をします。隊列を組み、一庭申す(ひとにわもうす)と言う挨拶をした後、歌枕の唱和に合わせて太鼓きりの踊に入る。両手にバチを持って太鼓を切るように叩き、飛び跳ねたり、地面をこすりながら体で弧を描くような表現をする。太鼓は摺太鼓などとも呼ばれる。

6月24から26日にかけてS誌の全国大会が浜松で行われたが、その際のアトラクションとして遠州大念仏が披露された。他地区からの参加者は勿論ながら、地元の人たちにとっても目の前で踊る大念仏には興味深かった。
Dainenbutu_6
頭先(かしらさき)、幟、頭(かしら)の順序で入場する。
Dainenbutu_1
Dainenbutu_2

道化も出て、和やかな雰囲気を出す。
Dainenbutu_7
  婿に欲し大念仏の太鼓切   廣田みさ江
この句の季語は大念仏であるが、大念仏と言う季語は正式には、嵯峨大念仏で京都の嵯峨野の清源寺で4月第1土・日に催される念仏狂言が歳時記上認められているが、遠州地方で、大念仏と言うとこの行事しか無いので、遠州在の季語として通用しているようである。 

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» 無形文化財『遠州大念仏』を見てきました。 [地球とからだのためにできること]
遠州地区(静岡県浜松市・浜北市近辺)の新盆を迎える家庭で、お盆の夕方から翌朝にかけて、道ばやしを奏でながら念仏を唱え、躍動的な踊りで亡き魂を慰める「遠州大念仏」。最近ではなかなか見ることができなくなってしまったそうです。私も今回初めてナマで、見ました。...... [続きを読む]

受信: 2006年7月17日 (月) 00時15分

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