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2006年6月 9日 (金)

少し歩けば

「車を降りて少し歩けば城址に行ける」と、聞いた。それなら行って見ようと、軽い気持ちで出かけた。

目的地は、浜松市の北縁(今は合併したから浜松市の南北方向の真ん中位か)の三岳(みたけ)山に在る三岳城址。後で調べて判ったが標高467mの山である。
Hyousiki_1 家から車で30分位で、三岳城址の道標があった。その矢印の先には急な石段がある。降車して石段に取り付く。

胸突き八丁のような石段を上る。石段はきつい。ともかく上る。

其の上に三岳神社というお宮が在る。其処へも又石段。

兎に角上る。城址は、そのお宮から左の径を伝ってゆけば行けそうなので「少し歩けば」という言葉を信じて歩くことにした。

Kizahasi

Mitakejinja

ところが「少し歩く」どころではなく、走り根の浮き立った急坂を喘ぎあえぎ登ることになった。道には落葉が積もり、その下に、むき出しの岩があるので滑りやすい。よほど気をつけないと転倒したら大変な事になる。私たち夫婦以外には人気は全く無い。

登ること約2000歩位か(下りでは2000歩だった)。途中まで上ったところで又道標があり、右は二の城址、左は三岳城址とある。右へ少し歩くが端まで行くには時間も掛かりそうなので引き返して、本来の城址を目指す。此処まできたら、行くしかない。Sakamiti_1 Hyousiki2               
 その急坂を登る。そして漸く三岳(三嶽とも)城址に着く。

「三嶽城跡」と書かれた碑が建っている。三岳山上である。急に眺望が開け、はるかに浜名湖、三方原台地、東名高速道等が俯瞰でき今までの汗が吹っ飛んでしまう。

Mitakejyousi_1
国指定の三岳城址は、南北朝時代からの歴史を刻んでいる。
南北朝時代は、後醍醐天皇の皇子である宗良親王の遠江地方の戦略的拠点であったが、やがて足利尊氏の高師泰(こうのもろやす)勢に攻められて興国元年(1340)落城。その間に皇子は天皇の崩御を知り 「思ふにも なほ色浅き紅葉かな そなたの山はいかが時雨るる」 の歌に、城中の紅葉を手挟んで別当資次に送ったという。皇子は大平城に移った。其の後の変遷を経て、戦国時代の戦歴を残している。

城は一の城(本丸)がこの山頂にあり、地域狭小ではあるが、これを中心として幾多の帯状塁段が巡らされ、現在は原型を失ってはいるが尚4,5列は数えられる。本丸の西方には幾多の壕が掘られ、或いは天然の岩石を持つ要塞となっている。
二の城(ニの丸)は、一の城より東の高地一帯にあり、
三の城(出丸)は、現在の三岳神社の境内にあった。

「少し歩けば」を額面どうりに受け取ったのは、失敗だったが、「城址までは相当きつい山路」と言われたら、上り口で諦めただろう。其の点、「少し歩けば」は良かった。兎に角山頂の城址を極める事が出来たのだから。

「少し歩けば」と言ってくれた友人は、昔は野を駆け、山を攀じた猛者だった事を知って、成る程と思った。

                                     

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