« 蘇民将来 | トップページ | 柳絮飛ぶ »

2006年4月 4日 (火)

夜もひるのように輝く

浜松の生んだ偉人の中で、今は知る人ぞ知る人に、長谷川 保さんが居る。私とは或る出会いを通じて何回かお会いしている。その著「夜もひるのように輝く」は今も影響を与えてくれる書だ。この書の読後感を通じてS.氏との往復書簡は今も新鮮なものがある。

「夜もひるのように輝く(講談社)」の読後感と往復書簡

 

S.氏へ

考えてみれば長谷川さんと私とは、私が前に住んでいた町では隣保で、今の、S.住吉病院を拡張する時に、その場所に住んでいた私の家を含めて4軒を買い取りたいと長谷川さんが何回か自分自身で交渉に見え、最後には私が代表として纏めたのは昭和43年だった。(中略)

 本書を読んで、改めて長谷川さんという人の偉大さを認識しました。現、Y社の労働争議やK.さんの話も懐かしく、私の知らない秘話も沢山含まれていて興味深く読ませてもらいました。(中略)

 自叙伝は、ともすると都合の良い所を抜粋して書かれる場合が多いように聞いていますが、それを割引して読んでみても凄い人だと思いました。時代の流れの中にあって、周囲がご都合主義的に左右に振れる中で自分を貫いた長谷川さんの毅然とした信念と行動力には圧倒され、これが現在の繁栄を招いた根源でしょう。

 浜松の生んだ偉人の一人として誇れる人ですね。(後略)

   

S.氏より

 多くの方に読まれ、今もS.病院の歴史と言うか「S.病院の聖書」として取り扱われています。只、私はアウトサイダーなのでしょうか。これを小説風自伝と見るより自伝風小説と見る思いが強いのです。

 それが先日差し上げた文章になるのですが、書いたものを読みつつ伝えるというのはどういう事なのか。考えてみると聖書でも、昔は歴史の事実と信じられていましたが、今は歴史の事実ではなく、マルコなりルカを書いた記者の信仰告白の文だと言われています。夫々の記者が、そのおかれた場、それには年代もありましょうし、農民層なのか小市民層なのかによって、イエスをどうとらえ、どう伝えようとしたのかによって書かれたものであって、今となっては歴史の事実を書かれたものを通して知ることは難しいと言われています。その点「夜もひるのように輝く」は、聖書と違い、ご本人が書かれていますから、聖書よりは歴史の事実を反映しているかと思います。ご興味がありましたらゲッセネマの祈りの箇所を比較してみて下さいますと 、(マタイ伝26章36節~、マルコ14章32節~、ルカ22章39節~、ヨハネ18章1節~、園とは有るが苦悩の記事なし)伝えるとは何かを考えさせられます。

 しかし文章を書くにしても何を訴えようとしているのかを持っていないのは、心を打ちませんね。遠藤周作でしたか、聖書の記事に就いて、事実でなくとも真実だと言うような事を言っていましたが、これが事実だと言っても、それは何だったのか、其処には何も行動を起させるものが起きて来なかったのではないか。その点、長谷川さんの文には人を揺り動かすものがあります。それはT.さんの文にも有ります。長谷川さんの人間生きたようにしか老い得ない」という言葉を思い出します。

 心を打つ俳句 は、それまでの生き方の反映なんでしょうかね。T女さんの句集を読みつつ、句集を通して彼女の人柄と言うか生き方が感じられます。

Hasegawat

|

« 蘇民将来 | トップページ | 柳絮飛ぶ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/99342/9424902

この記事へのトラックバック一覧です: 夜もひるのように輝く:

« 蘇民将来 | トップページ | 柳絮飛ぶ »