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2006年2月13日 (月)

ラッキョウの道

Y社に入社した当時、先輩と一緒に毎朝会社まで歩いて通った道がある。その道の途中に軽便鉄道ラッキョウと呼ばれていた)のトンネルがあった。l-railway

そのトンネルは通勤時、少し急ぐ時にはショートカット用として良く使った。勿論ラッキョウの通る時間を知っていての事。何処まで信用して良いか判らないが、偶々遠くからやってくるラッキョウを見つけても、通勤・通学の時間帯なら、当時のラッキョウでは走れば追いつかれることはなかったと言う。

トンネル近辺は勾配が割合きつく、通学時間帯は、満員の生徒でラッキョウの力では精一杯。時々車輪が空転すると、車掌が降りて、線路に砂を撒いて居た事もある。そんな状態だから走っても追いつかれなかったのだろう。全線のうち、そんな箇所が2ヶ所あった。ラッキョウは甲高い汽笛をあげて走っていた。愛嬌があって利用者からは結構有り難がられた存在だった。tunnnel

マイカー時代になって、それまでの蒸気機関車を廃止して電車になったが、軌道はそのままの軽便電車になった。速度も増して昔のようなことはなくなったが、矢張り時代の波に押されて廃線になってしまった。私は廃線直前に思い出の為に始点から終点まで乗ってみた。三方原台地を走って行くときに、富士山がくっきり見えたことが印象に残っている。その三方原に将来住むことになろうとは、その時は夢にも思っていなかった。やはり因縁というものを感じる。

曲がりなりにもれっきとした電車なので、今残っていたら、常時渋滞の道でいらいらする状態を、横目に正確な時間をキープして走っていただろう。恐らく利用者も大幅に増えたと思う。採算性も良くなったはずだ。

その思い出のトンネルを数十年ぶりに歩いてみた。昔の面影を僅かに残して、綺麗に舗装された遊歩道になっている。上の2枚のモノクロ写真はトンネル入口の壁に、蒸気機関車当時のラッキョウの写真が貼ってあったものを撮ったものである。

犀ヶ崖という古戦場址(犀ヶ崖はこちら)から、浜松城の近くにある、Kホテルまでの姫街道を往復歩いてみた。往路はトンネルを通らずに町の中を歩いた。1.6㎞位あって、ゆっくり歩いて25分位。復路(それが今日の目的)は、懐かしのトンネルの中を歩いた。1.8㎞位で、景を楽しみながらゆっくり歩いても30分あれば充分。

トンネル内を通る道には、情緒があり素晴らしいし、何より安全だ。全部煉瓦模様の舗装路で車は勿論通れない。自転車に乗った人が時たま通るが、散歩している人が圧倒的に多い。写真は其のトンネル付近の模様で、往時を懐古しながら歩いた。tunnel

トンネルを出ても、樹木に覆われた素晴らしい道が、犀ヶ崖の直近まで続く。哲学の道といっても良いくらいの雰囲気のある遊歩道だ。気持ちの良い道だ。この道をあのラッキョウが通っていたのが夢のようだ。

tunnel_2

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コメント

 さすが山法師さん、実地にあたつてくださつていますね、
 吟行の皆さんに朝歩いてもらいたいですね。
軽便全線乗っていないのです、住吉に聖隷病院が出来たためか、人口が増えたせいか、
いまの山田八百屋の所に駅ができましたが、
まもなく廃線でした。
 聖隷の古い方からは都田口から金指にぬける坂などでは、飛び降りて小便して追いかけて飛びのつたなどの話をききました。
 遠州鉄道大株主の伊藤様のところに迂回して駅があつたとか、先日その伊藤様の屋敷の
前を通って、都田川の土手を歩きました。
 厄除け観音の善明寺さんも。
今の元城小学校のところは伊藤様の屋敷跡ときいています。聖隷社クリーニングのお得意さまで、洗濯物を取りに行ったと聞かされています。

投稿: 尚童 | 2006年2月14日 (火) 14時42分

この道はいつか来た道ああそうだよ、素晴らしい道でした。皆さんにお奨めです。
ラッキョウに絡む話は何処までが本当なのか知らないが、兎に角愛すべきラッキョウだった事は確か。
尚童さんも結構あちこち歩いていますね。都田川の土手辺りは風情があるんでしょうね。一度行ってみます。

投稿: Alps | 2006年2月14日 (火) 17時59分

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