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2006年1月17日 (火)

姫街道

奥浜名湖北側の山上に公営国民宿舎「奥浜名湖」がある。ここから見下ろすと浜名湖へ注ぐ都田川が足下に流れ、更に目を凝らすと、浜名湖が外海とつながる今切口と、遠州灘を遠望出来る。

hime-kaidou 国民宿舎から道を下ると、通称「姫街道」に出る。東海道の見付又は浜松から気賀、三ケ日の浜名湖北岸を通り、三河の御油までの東海道の脇街道で、途中には今も残る松並木が見事である。        

只、車の排気ガスなどで年々弱ってきているのが現状で、松並木保存の為に尽力している人たちもいる。

上の写真は最近建てられた「姫街道」の道標。下の写真は松並木。

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国民宿舎からこの姫街道に出るとその真近に「獄門畷」の跡がある。気をつけて見ないと見落としてしまうほどで、道の南側に石碑と由緒書が建てられている。

「永禄3年(1560)桶狭間の戦後、徳川家康の遠州侵攻を防ごうと、気賀の人々は、領主今川氏の為に堀川城を造り、最後まで戦った。堀川城址は此処から南へ600㍍程にある。

永禄 12年(1569)3月27日、堀川城に2000人の男女が立てこもり、3000人の家康軍に攻められて落城した。大久保彦左衛門の記録に『男女ともになで切りにした』とある。其の後捕らえられた700人も,この付近で処刑され、この小川に沿った土手にさらしたので『ごくもんなわて』と言われるようになった」と、書かれた由緒書と並んで、「堀川城将士最期之地」と書かれた石碑(写真)が小川の傍に建っている。誰が供えるのかお花の絶えたことがない。

   獄門の跡の畷の草青む   (N) 

   落城史今に伝へて春寒し (H)

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下の写真は、都田川が左方から右方に流れ浜名湖に注ぐ所で、川の前方の山の形が「寝釈迦」に似ているところから、寝釈迦山とも呼ばれている。舘山寺はその足の部分に当たる.。冬の都田川には鴨が群れている。(舘山寺はこちら

   うららかや湖のむかうに海みえて (A)

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