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2005年12月 4日 (日)

浜松城

浜松市役所に隣接して浜松城とそれを囲む公園があり、散歩している人、親子連れで遊んでいる人、ジョッギングしている人、天守閣に登っている人等々、市民の憩いの場でもある。

私のように浜松市といっても外れに住んでいる者にとっては、その気が無ければ中々行く機会が無いが、久しぶりに行って見た。偶々豊後竹田市の岡城址と続・岡城址を書いたので、浜松城に就いてもご紹介する。ただ私は、再現された建造物より、遺されているものの方に関心がある。

浜松城

浜松城は徳川家康が遠州攻略の拠点として築いた城で、長子信康に岡崎城を譲り、元亀元年(1570)6月にこの城に移って来た。元来、平山城であったが、次第に壊され、城域が狭まり、現在は、東西600㍍、南北650㍍の規模で、南の東海道に大手門が開き、東から西へ三の丸、二の丸、本丸、天守台と連なり、順次高さを増す。家康は駿府城に入るまで約17年間、この城を本拠として徳川三百年の基礎を築いた。

家康の後、城主は代々譜代の大名が勤め、在職中に老中にまで栄進した人が多い。このことから世に出世城と言われる。

現在の建物は昭和33年(1958)に再現されたものだが、野面積みの石垣は往時のままで、独特の雰囲気の中にも歴史の重みを感じさせ、浜松市の史跡に指定されている。

    石垣

 石垣は荒々しく、粗雑で一見崩れやすいように見えますが、400年余の風雪に耐え、今なお当時の面影を残している。この石垣は野面積みといい、自然石を上下に組み合わせ積む方法で、慶長以前はこの方法が多く用いられた。石の大きい面を内側にして長く押し込み(牛蒡積み)、その内側に小型の栗石を積め、さらに砂利を入れ、石垣表面の隙間には詰め石をし、外観は乱雑だが、堅固に造られている。特に天守台と天守門跡付近の石組が堅く石も大きなものが使われており、突角には算木積み法が使われている。

    天守曲輪

 ここは丘陵の西の端の最も高い所にあり北東と南東に張り出した菱型(東西56㍍、南北68㍍)に近い形をしている。周囲は低い土塁があり、その下に石垣をめぐらしている。東に天守門、西に埋門があり、内部は広場となっていた。

    井戸

 この井戸は銀明水と呼ばれていたという。浜松城には天守台に1、天守曲輪の埋門の傍に1、本丸に1、二の丸に3、作左曲輪に4、計10本の井戸があったという。天守台の井戸は、再建の時に残し、今は天守閣の地下室にある。

    浜松城公園日本庭園

 この庭は浜松城の足元に位置する庭園として、また郷土の自然風土に溶け込み市街地の中で植物による四季の変化や日本庭園の良さを味わえることを主題として作庭されている。

 自然地形の高低差と、水との関連も考慮して広葉樹が多く植えられている。谷間に上、中、下の三段池と夫々に大滝、小滝、滑滝が設けられ、これらを観賞するため回遊式の園路が巡らされ、上池に石橋、下池に木橋が架けられ庭園の添景となっている。庭園の各所には石灯籠が配置され、敷石には切石敷・寄石敷・玉石敷が配置されている。

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     浜松城

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