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2005年9月 2日 (金)

或る女子学生との会話

1963年9月、私は1ケ月間の海外出張の後半の旅の途中にあった。

当時は海外で日本人に会うことは滅多になかった。何しろ始めての海外出張とあって戸惑う事が多かった。ヨーロッパでの仕事を終え、ハンブルグ空港を出発してニューヨーク空港で、ユーナイテッド・エアラインに乗り換えロサンジェルス空港へ行くことになっていた。所がニューヨークへ着いてみたら、其の便は今は無いとのこと。何しろブロークンな会話しか出来ない私だが、ルフトハンザ(ドイツ航空)と交渉した。「お前の所で作ってくれたスケジュールが間違っていたのだから、責任を持って、最短時間でロスへ行ける便を探し航空券を切り替えてくれ」と依頼した。やがてデトロイトで乗り換えてロス行きの便があるが良いかという。良いも悪いも無い。

かくしてニューヨークからデトロイト行きの客となった。もう現地時間で夜の8時位だったと思う。私の右に大学生と思われる若い女性が乗った。その右には、やはり学生らしい若い男性が乗っていた。

ニューヨークを出発して間もなく女性が私に話しかけてきた。バショウ とか シキ とか ブソン とか言い始めた。私を日本人で俳句を知っている男とでも思ったらしい。聞けば彼女はミシガン大学で日本の、特に俳句の研究をしているらしい。此処で全く知らないと言ったら沽券に関わると思って私もありったけの知識を絞って何とか質問に答えていた。大方いい加減なことでお茶を濁していたのかも知れない。時に会話で判らない事があると彼女はノートを出して筆談してくる。隣の男性と会話する事もなかったが、垣間見ていると男性も二人の会話を楽しそうに聞いているように見えた。そんな事があってデトロイト行きの時間は結構楽しい旅になった。

ところがである。デトロイト空港に着いたら、彼女の両親が出口に彼女を迎えに来ていた。彼女は先ず彼女の右側に坐っていた男性を両親に引き合わせているのを聞いて驚いた。彼女のフィアンセで両親に始めて会わせるために一緒に来たらしい。其の上、赤の他人の私まで「飛行機の中で知り合った日本人の会社員で、俳句の話をさせて頂いた」と両親に紹介してくれた。両親からはお礼とも言える言葉を掛けられた。

始めての海外出張で、私はつくづく欧米人の社交性というものを、見せ付けられた気がした。若しこれが日本人のそのような男女関係の人と、異国の人が乗り合わせたとした時に、フィアンセを措いて異国の人と話すだろうか。矢張り長い生活習慣の中で培われて来た社交性とも言うべきものではないかと思った。

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コメント

 海外旅行の先駆けなんですね、アメリカの若い人もすごいけど、日本人ここにありと対話し、それも俳句で応対されたなんて、素晴らしいではないですか。言葉の出来ない私なら、笑みでごまかすか、寝たふりしますよ。
 移民、出稼ぎに労働力依存しなければならない、日本にとって異文化理解ということが大問題でしょうね。かれこれ二十年前になりますが、テキサス州にある聖隷みたいな医療、有料老人ホーム、教育の施設と姉妹関係を結び
その調印式にでかけたことがあります。
 私は有料老人ホームを見学し、サービスのマニアルなどもらつたのですが、アメリカでマニアルが盛んなのは、均質的なサービス確保はもちろんなのでしょうが、掃除一つとつても、国それぞれの文化があり、何処でも一緒でなく一つ一つきめて、双方で確認しておかないとトラブルが起きることをしりました、
 四角い部屋を丸くはくのも掃除、掃除とは障子の桟まで拭くものと考えもあれば、「わたしどもが考える掃除とは」、と明確に提示する必要があるんですね。細かい規定には驚きました。
 異文化理解は違いにではなく、重なる部分に目を注げだとか読みましたが、外国人との異文化理解だけではなく、日本人同士の異文化理解の時代になつているみたいですね。

 ブログという最先端の流れにのつて、若い人との理解をはかるアルプスさんに敬意を表します。今出版社がブログに注目して、出版をすすめているとか、アルプスさんもベストセラーねらつてください。そして盛大な出版記念会
を。勿論印税で       尚童            

投稿: 尚童 | 2005年9月 3日 (土) 21時24分

Alpsさんの記事「忘れない」を見て、私にも良く似た叔父が居ることをブログ記事にしてTBしようとしたが、文章力の不足で間に合わず、取り合えずコメントを入れたのでした。今回また、記事に良く似た話を書きたくて大分努力したが駄目。また、取り合えずコメントを。

「1960年代」、「旅行計画外の行動で、N.Y.からデトロイトへ」、「機内で若い女子学生と隣席に」、「俳句を話題に」、とこれだけ共通項がある話なので、篤農家の叔父の話同様に、これもいずれきちんとお話をしたい。
只、当方はAlpsさんの様な真面目な話は出来ない人間で、N.Y.のオペラ歌手に「草津よいとこ」を教えるタイプだから俳句も同様。 例の「云うまいと思えど今日の暑さかな」を「you might ・ ・ at fishu」と云う奴でカラカッタ次第。米国女性も隣席の日本人に依って随分と運、不運が分かれた。
でも未だに不思議なのは「・ at fishu」を、この文章は貴女方には、woulodnot make any sence to you, だけれども、と私が云うと彼女は「いいえ、意味がある文です」と言ったこと。
尚、この時の女性はEureka (勿論、お分かりでショウ)から来た大学生だった、というオチまで付いています(これは、本当のこと!)
それから、その時には思いがけずフォードがメンロパークから運んだエヂソンの研究室をデトロイトで見ることが出来たから、旅の躓きも悪い事ばかりでは無いですね。


投稿: Y.K. | 2005年9月 3日 (土) 22時15分

訂正:
先のコメントに書いた俳句は、「云うまいと ・」でなく、「古池や ・」 → 「fully care ・」の方でした。 失礼しました。 幾らなんでも at fish ではね。
変人キャズ氏の(独り言65):「淘汰のメカニズム」 に較べてこちらの機内体験はラッキーでしたね。

投稿: Y.K. | 2005年9月 4日 (日) 05時00分

尚童様
コメント有難う御座いました。
異文化の問題ですが、理解し合うということは中々難しい問題ですね。文化とは云えないのですが一例として言うならば、
私も6年前まで居た会社でブラジルの人を大分使ってい居ました。彼等は日曜日等は浜松駅近辺に、同じブラジルの人と落ち合って情報交換をし、少しでも条件の良さそうなところへぱっと移ったりしました。其れも手当てとか会社からの援助費等で表面に出ないところは判らずに、表面的な数字に捕らわれてのことで、移ってから気がついて再度戻ってくるケースもありました。
日本人のような義理人情の世界(今は大分違ってきているが)とは全く違う世界で従って、マニュアルなどは相当細かく作っておかないと他人のことには一切手を出さないような所がありました。又出すと他人の権利の侵害にも繋がる問題と理解しているようでした。いい意味での助け合いを理解させるのには時間がかかりました。
カルチャーショックなどとよく言いますが、中々口で言うほど理解するのは容易では無いでしょうね。
ブラジルの人を使うのでポルトガル語をと思ってそんな即席本も読んだりしましたが結局匙を投げ出しました。私の英会話などは会話の部類には入らないと思います。単語を羅列するくらいの程度です。相手の言う事などは、現地に1週間くらい居ると少し聞きなれてきますが、其れまでは中々聞き取りにくく難渋したし、今だって同じです。
尚童様のテキサスでのご経験が異文化の相互理解の上で大きなヒントになっているのではないでしょうか。

投稿: Alps | 2005年9月 4日 (日) 15時47分

Y.K.様
コメント有難う御座いました。
最も刺激的、魅力的なニューヨークのオペラ歌手に「草津よいとこ」などを教えて、下船する彼女から大声で呼びかけられた話などを聞くと、私等とは違ってY.K.さんの余裕を感じます。こんなユーモアが欲しいものと思いますが、私などには中々。
「淘汰のメカニズム」のありようは又凄いですね。国際的では無いですね。
私のロス行きの手違いで難渋した余得は、この様なデトロイト行きの楽しい時間が持てた事ですが、実は時差と飛んでいる方向(西に向かって飛んだ)、その時間帯と機内食サービスの有無を見落として長時間、食にありつけなかった苦い経験がありました。以後は乗る時には、その辺も考慮して乗るようにしました。
このブログ記事を書こうと思ったのは、私の友人とのメールの遣り取りの時に、何か共通項の有る事に気がついて書いたものでした。

投稿: Alps | 2005年9月 4日 (日) 16時32分

一寸気になって、当記事に限らずこのブログに書き込んだ私のコメントを読み直してみて、誤解を避けるためお断りします。
私は年代的にも戦中派だし、留学経験も無いし、語学力も当然極めて貧困です。外国人との交流の話をする時には、聴き手も私の会話能力の無さを承知、との前提で話しています。
私は外国語を出来ない事を残念だとは思うが恥しくは思いません。コミュニケーションが取れれば良いのですから。現実に5年も8年も留学してきた同僚達よりも、シッカリした外国人の友人を多く持っていることに私は密かな自負を感じています。
マニュアルに就いても些か思う所が有ります。 3人もの友人の奥様達から同様の話を聞きました。「赤ん坊の孫が泣いているから、お腹が空いたに違いない。おっぱいを上げなさい、と娘に言ったら、未だ5分早い、と言われた」。これが、マニュアルの効果であることは確かです。
人間的善意も独善では駄目。東南アジアの某貧困国に居て数名の使用人を使っていたA君が深夜帰宅して、門番を起こすのが気の毒と思って自分で開門して家に入った為に後が大変だった話を聞きました。
異文化理解、国際化推進、世代間融和、を進めるのには処方箋ではない部分が大切だと思います。まして、小学校から英語を教えるなんて、全く見当違いな教育法だと思います。英語の下手糞な私でも日本民謡を米国人歌手に教えて喜ばれたのだから。

投稿: Y.K. | 2005年9月 6日 (火) 03時50分

頂いたコメントに触発されて。
元日銀総裁の三重野康氏が、退任後5年間勤めたある大学で、日本経済の講義をして、学生の考える力の弱いのに驚いたと昨日の日経新聞紙上で述べている。講義の要点のみの筆記すら出来ないと嘆いていた。
「言葉の教育が足りないのが根本原因です。日本の小中学校の国語の時間は今や先進国の半分と言われます。ゆとり教育の弊害ですね。」とあり、日本語そのものが身に付いていなければ云々と述べている。
私の会った女子学生などは恐らく言葉の大切さを理解している人ではないかと思います。

投稿: Alps | 2005年9月 6日 (火) 10時48分

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