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2005年9月22日 (木)

日付変更線

旅には必ず発見があり、感動がある。その旅に予期せぬ出来事や出会いが有ったら、その旅は素晴らしい旅として記憶に残る。まして始めての海外旅行の印象は強烈なものがある。

私の始めての海外出張も其の例に漏れない。4月24日に書いた「思い出のスチュワーデス」、9月2日に書いた「或る女子学生との会話」は其の時の出会いの一端の紹介だが、この旅には他にも色々の出来事や出会いが有った。

例を挙げれば、羽田からエールフランスでパリへ、其処でスイスエアーの小型機に乗り換えてインスブルックへ着いた時、同空港のバッゲージクレームで何時まで待っていても荷物が出て来ない。クレームを付けたら、後からスイスエアーがホテルまで届けてくれて事なきを得た事。

オーストリアの出張初日の夜、思わぬ自動車事故に巻き込まれたが無事に済んだこと。

それから、帰国後航空会社からA4版の「日付変更線通過記念証」(写真)が立派な包装で送られてきた事。このカードには、御覧のように七福神の絵が書かれていて,

「Proclamation of the Seven Deities of Good Fortune」 と書かれ、その下に「日付変更線通過記念証」、更に私の名前(写真は暫定的に、私のブログ上のニックネームに置き換えてある)が書かれている。

Mr.Alps(nickname on blog) has crossed the Internatinal Date Line,・・・とあり、通過年月日と通過時刻が明確に記されている。

始めての海外の旅だったので、こんな物を大切に保存していたと思うが、ひょっとした事から発見した。

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2005年9月 2日 (金)

或る女子学生との会話

1963年9月、私は1ケ月間の海外出張の後半の旅の途中にあった。

当時は海外で日本人に会うことは滅多になかった。何しろ始めての海外出張とあって戸惑う事が多かった。ヨーロッパでの仕事を終え、ハンブルグ空港を出発してニューヨーク空港で、ユーナイテッド・エアラインに乗り換えロサンジェルス空港へ行くことになっていた。所がニューヨークへ着いてみたら、其の便は今は無いとのこと。何しろブロークンな会話しか出来ない私だが、ルフトハンザ(ドイツ航空)と交渉した。「お前の所で作ってくれたスケジュールが間違っていたのだから、責任を持って、最短時間でロスへ行ける便を探し航空券を切り替えてくれ」と依頼した。やがてデトロイトで乗り換えてロス行きの便があるが良いかという。良いも悪いも無い。

かくしてニューヨークからデトロイト行きの客となった。もう現地時間で夜の8時位だったと思う。私の右に大学生と思われる若い女性が乗った。その右には、やはり学生らしい若い男性が乗っていた。

ニューヨークを出発して間もなく女性が私に話しかけてきた。バショウ とか シキ とか ブソン とか言い始めた。私を日本人で俳句を知っている男とでも思ったらしい。聞けば彼女はミシガン大学で日本の、特に俳句の研究をしているらしい。此処で全く知らないと言ったら沽券に関わると思って私もありったけの知識を絞って何とか質問に答えていた。大方いい加減なことでお茶を濁していたのかも知れない。時に会話で判らない事があると彼女はノートを出して筆談してくる。隣の男性と会話する事もなかったが、垣間見ていると男性も二人の会話を楽しそうに聞いているように見えた。そんな事があってデトロイト行きの時間は結構楽しい旅になった。

ところがである。デトロイト空港に着いたら、彼女の両親が出口に彼女を迎えに来ていた。彼女は先ず彼女の右側に坐っていた男性を両親に引き合わせているのを聞いて驚いた。彼女のフィアンセで両親に始めて会わせるために一緒に来たらしい。其の上、赤の他人の私まで「飛行機の中で知り合った日本人の会社員で、俳句の話をさせて頂いた」と両親に紹介してくれた。両親からはお礼とも言える言葉を掛けられた。

始めての海外出張で、私はつくづく欧米人の社交性というものを、見せ付けられた気がした。若しこれが日本人のそのような男女関係の人と、異国の人が乗り合わせたとした時に、フィアンセを措いて異国の人と話すだろうか。矢張り長い生活習慣の中で培われて来た社交性とも言うべきものではないかと思った。

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