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2005年7月30日 (土)

郷愁の桑の樹

何時もお世話になる山小屋の庭に、一本の大きな樹がある。何の樹か気になっていたので或る時ご亭主に聞いてみたら桑の樹だと言う。矢張りそうかと思った。と言うのは葉がどうも桑の葉とそっくりなのでそうではないかとは思っていたが私の頭の中にあった木はもっとずっと小さな木しか知らなかったから。

私は桑の木には何時も郷愁を感じる。水原秋桜子にも桑の木(実)に郷愁を感じたと言う俳句が有るが、彼が何故郷愁を覚えたのかその理由は知らない。しかし私の理由は極めてはっきりしている。

私の生家は長野にあり今も兄夫婦が家を守っている。生家は農家で私が育った時代は、二毛作の上に、春蚕・秋蚕と養蚕もしていた。今のように農業も機械化されていない時代とあって、専ら肉体労働に頼っていた。そんな状態の中で子供も労働戦力の一環に組み込まれていた。労働は楽しくはなかったが辛くもなかった。両親の働いている姿を目のあたりにして働くのが当たり前と思っていたからだろう。ただ楽しい夏休みの印象は全く無い。夏休みは朝から夕方まで畑や田んぼに出るのが普通だったから。

蚕は生き物なので、時間通りに桑の葉を与えなければならない。春蚕の時は桑の木の根っこから出た枝を切って山の畑からは背負子で、里の畑からはリアカーで運び、秋蚕のときは春蚕の為に(冬を越すので)枝は切れないから、桑の葉を摘み取る事になる。それらの仕事は子供にとっては案外大変な仕事でもある。

そんな苦労をしてきた桑の木には殊更愛着がある。桑の木や葉を道端で見ると限りない郷愁を覚えるのはこんな過去があったから。

最近、親が用を言いつけるので其れが気に食わなくて親を殺したと言う事件があった。考えられない事だ。此れはこの一件に限ったことではない。次々と起こる問題を見ていると、世の中が全く狂っているとしか思えない。私は其の根本に戦後教育のあり方があると思っている。知識は詰め込むが人間教育が全く出来ていない。少し極端な話になるが、昔印度にあった事実として伝えられている”狼子カマラ”を思い出す。人間の子として生れながら狼に育てられた子の本性は狼であったと言う話である。

桑の木へ郷愁を感じると共に、(単なる感傷ではなく)旧制の教育制度に郷愁を感じる一人でもある。

写真はその山小屋の庭の桑の大樹である。葉は山の気を受けて精一杯に生きている。向かいの山には雲がかかっていて山裾だけが望見出来た。

mulberry_tree_2

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2005年7月11日 (月)

中部国際空港

過日、北海道へ行った時、始めて中部国際空港(以下、新空港)を利用した。私の住んでいる浜松からは、浜松駅発(浜松西IC経由)空港行き直行バスが出ている。所要時間は浜松西ICからは1時間20分。バス賃は西ICから片道2800円。乗車すればそのまま空港の発着場入口に横付けとなり、発着場入口は国内・国際線共用で迷う事は無い。帰路は其の逆となる。

新空港が出来るまでは、何回となく旧名古屋空港(今は県営名古屋空港)を使った。出掛ける時は、家から駅までタクシー(又はバス)、それから名古屋駅まで新幹線、そしてリムジン(又はタクシー)と乗り換え其の度に、荷物を上げ下ろししたり、荷物を持って長い距離を歩いた。最近では2家族で出かける時は、浜松からタクシーをチャーターして往復に使ったが、それなりに金がかかる。

いずれにしても、新空港が開港し、交通機関も対応して便利になった。一方、県営名古屋空港の運営や採算に就いては聞いていない。

今、静岡県では靜岡空港(ローカル空港)が、建設反対の声の強い中で推し進められている。建設中の空港予定地への各地からの交通の便は、今のところ決して良くない。名古屋新空港が開港された現在、巨費を投じてこの地にローカル空港を造る意味が(長い目で見ても)本当にあるのかという意見が多いのも当然である。勿論名古屋新空港の建設は前から判っていた事実であるにも関わらずである。静岡県には新幹線の駅が6駅もあり、東名高速が走り、今又第2東名が建設中で、陸上交通網はかなり恵まれている。

嘗て、農道空港なるものが巨額の税金を使って造られたが、宅配便に取って代わられ、無用の長物になった事実もあり、北海道には「熊の走る高速道路か」と某大臣も指摘した高速道路がある事を思い出した。

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        中部国際空港(名古屋新空港)

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2005年7月 7日 (木)

トラピスチヌ修道院

今日は七夕。七夕に絡む伝説は元は中国から伝えられたものと聞くが、今は完全に日本の伝説でもある。戦中派にとっては特別な想いもあって、賑やかな飾りつけとは別な心情がある。丁度クリスチャンのクリスマス・イヴとそうでない者の其れとの差があるように。今夜だけは晴れて欲しいと思う。

6月に函館の、トラピスト修道院とトラピスチヌ修道院を訪れた事を、俳句の先輩に話した所、そのトラピスチヌ修道院へ入った友を持つ知人が詠った俳句を教えて頂いた。一読して名状し難い感動を覚えた。先輩の知人である俳人の名は馬酔木同人のWT氏。

    現世(うつしよ)に会ふ日なからむ賀状書く 

入所した方の、その後の消息は聞き漏らした。

最近訪れたトラピスチヌ修道院と関係の有る句と、七夕伝説との間に相通じるものを感じた。 

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2005年7月 5日 (火)

或る老夫婦

6月23日、根室本線の富良野駅から釧路行きの列車に乗った。目的地は函館駅。ただ富良野から新得で乗り換えるまでは、普通列車で二人づつ相向きの旧型車で冷房もなく、天井に扇風機がだるそうに回っていた。乗客も少なくガラガラ状態だった。

ふと気が付いて見ると、通路を挟んで私達夫婦の反対側のボックスに老夫婦が乗っていた。そのご夫人がA4版位の額を車窓に外を向けて置き、手で支えていた。見るともなく見ていると何かご主人と、ぼそぼそと呟く様に話していた。列車の進行方向の右側は夕張山地、左側は石狩山地。額は夕張山地の山々が見えるであろう方角(その日は曇っていて何れの山も見えなかった)に向けられ、列車が新得駅手前の新狩勝トンネルに入るまでそれは続いていた。私たちの方からは額の裏側しか見えないのでどんな写真が入れられているのか知る由もなかった。

恐らくお子さんか、お孫さんが山で遭難でもされたのではないかと私は思った。老夫婦は其の思い出の地に写真を持って訪れ、三人で話していたのではないだろうか。私たちが新得で下車した後も、老夫婦はそのまま乗って行かれた。

新得駅で乗り換えた後私達と、同行の友人夫婦との間で其の話が出て、皆が密かに思っていた事が期せずして同じだった事がわかった。勿論老夫婦とは話を交す事もなく一期一会の車中光景だったが、何か今も其の光景が旅の思い出の一隅を占めている。

このような人間社会の現実を他所に、富良野は、矢張り北の大地の風格を滲ませていた。

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               草ロール

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              富良野の麦畑

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2005年7月 3日 (日)

函館

北海道へは過去4回行った事がある。しかし、函館だけは偶々台風の影響で行けなかったので今度が始めての訪問である。

函館は歴史のある町だ。その建造物にも世界の建築様式が凝縮されている感があり、素晴らしかった。五稜郭は日本始めての(正確には信州佐久郡の龍岡城と相前後して)稜堡式城郭で、剣戟戦から砲術戦に変って城の構造が、がらりと変った典型的な城だ。

赤レンガ倉庫群、旧函館区公会堂、旧イギリス領事館、トラピスト修道院、トラピスチヌ修道院、ハリスト正教会、カトリック元町教会等々をはじめ、どれをとっても歴史の匂いを秘めている。

トラピスト修道院はロマネスク風の建物がひっそりと建っている。入口には長い橡の並木が続き其の奥に修道院がある。並木の横には草ロールが転がっていて、自ら働きながら研修している。此処では同行した友人のご縁で特別に神父とお会いしてお話が出来た。トラピスチヌ修道院もフランス・ロマネスク風の美しい建物だ。此処は女性だけの修道院。ハリスト正教会はロシア・ビザンチ風の一見其れとわかる建物。カトリック元町教会は、ゴシック風の建物でキリストの道行きの絵が壁にずらりと掲げられている。ルネサンス風の旧函館区公会堂は国の重要文化財。銀行・商館・役所には擬似洋風建築が多く、商家には和洋折衷建築が多く見られ、赤レンガ倉庫群は柱の無い西洋式の建築様式をとっている。

他には、誰でもが知っている函館の夜景等々、始めて訪問した私は函館に魅了された(冬は別な顔を持つのだろうが)。もう一度じっくり時間を掛けて訪ねてみたいと思った。

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トラピスト修道院  (この手前に長い橡並木がある)

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トラピスチヌ修道院

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ハリスト正教会

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カトリック元町教会

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