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2005年6月16日 (木)

藤沢周平と海坂(うなさか)

「三屋清左衛門残日録」を読んで藤沢周平作品の虜になり、「蝉時雨」「暗殺の年輪」等々、10数編を次々と読んだ。今から既に十年以上前のこと。時代小説作品の裏に潜む人間性がたまらなく好きだった。

その藤沢周平の作品の舞台になっているのが出羽の国海坂(うなさか)藩。海坂藩は勿論架空の藩ではあるが、周平の生地に当たる山形県庄内地方を領してきた庄内藩を母型として作られた名前で、周平自身が「海辺に立って一望の海を眺めると水平線は緩やかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂と呼ぶと聞いた記憶がある。うつくしい言葉である」と述べている。

しかし彼が海坂藩と名づけた由来はもっと単純で、その昔彼が会員の一人として投句していた俳句雑誌の誌名「海坂」からとってきていると言うのが本当の所である。

俳誌「海坂」は、水原秋桜子主宰の俳誌「馬酔木(あしび)」の同人で俳句界最高の賞と言われる蛇笏賞を共に受賞した、百合山羽公(うこう)、相生垣瓜人(あいおいがき かじん)が中心となって発行された俳誌で、その伝統が今も生き続け今年の6月号で通巻710号を数える。

藤沢周平の、「海坂」会員として活躍していた時代の作品の一つに、

    天の藍流して秋の川鳴れり

があり、きりりとして美しい作品だと思う。

海坂藩由来に就いては向井敏著「海坂藩の侍たち」より一部引用した。

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コメント

私も熱烈な藤沢周平ファンです。
何かの折に、藤沢周平の小説に登場する海坂藩と、俳誌「海坂」との関係に就いて聞いたことがあります。

投稿: 熊谷 一 | 2005年6月17日 (金) 16時13分

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