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2005年5月31日 (火)

平凡な事を非凡に

TVのスイッチを ON すれば今日も亦、並んで深々と頭を下げている姿が映っている。又かと思う。次から次へ起こる不祥事は、通り一遍のつぎはぎで直るものではない。こんな現象は氷山の一角に過ぎないから。根底から立て直さなければ日本の将来に夢が持てない。

そんな暗いニュースばかりの中で、こんな人も居ると言うことに一縷の希望がある。それは「平凡な事を非凡に」やってきた一人のサラリーウーマンの話である。

この話は今から10年程前の日経新聞の「春秋」と言うコラムに載った話である。旧聞に属するとは言え、このような人は、時代が変わっても必ず存在する事を確信して、以下に其のコラムから一部抜粋してみる。

「先日ある外資系企業に勤めていた女性(55歳)の退職を祝い、励ます会に出て実に心が和んだ。会場には東大学長、環境庁長官、大分県知事、著名デザイナーらが彼女を取り囲むようにして集まり、昔話に花を咲かせた。

と言っても、彼女はいわゆる有名人ではない。企業の社会的貢献を重視するこの会社では、年に何回か識者を集めて国際会議を開いたり異業種の専門家による勉強会を開催している。彼女の仕事はこうした会議がうまく運ぶように、会議へのバスの手配をしたり、宿泊所の部屋の割り振りをしたりする事だった。しかしこの仕事に掛ける情熱は半端なものではなかった。食事時などに初対面同士が気まずい思いをしていると、すっと寄ってきてさりげなく両者を紹介し、楽しい会話に引き込んでいく。会議が終わった後、参加者に感謝の手紙が届いたりする。

『黒子役の一サラリーウーマンが初めて、舞台のスポットライトを浴びさせて頂き光栄です』と、涙ぐむ彼女。そんな彼女に存分に力を発揮させた会社もなかなかのものだが、20数年に渉って地味ながら人脈の布を織り上げた彼女も立派だった。そして彼女を励ます為に寸暇を惜しんで駆けつけた各界名士の心意気もすがすがしい。久しぶりに酒がうまかった」。

平凡な事を非凡に実行することは、言うべくして実行され難い。この例に見る会社のあり方や彼女のような生き方に色々の意見があろうかと思うが、物づくりの現場の修羅場を経験した(と思っている)私にとっては、一服の清涼剤に思える。

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2005年5月22日 (日)

トビ空襲警報

今朝の読売新聞の1面に「トビ空襲警報」と題して、「『野生のトビに食べ物を取られた』という通報が、由比ヶ浜など神奈川県鎌倉市や横須賀市の海岸で相次いでいる。都内から由比ヶ浜に行楽に来ていた鈴木健さんは、『ハンバーガを食べようとしたら背後から突然襲われた』と、顔に血をにじませ、驚いていた」という記事が掲載されていた。この記事には浜辺に二人で並んで腰を下ろしている男女を左右から襲う鳶2羽の写真も載せられている。

実は、私にもその経験がある。旧友2人と2003/11/14、横浜の金沢文庫へ行った時、有名な称名寺の浄土庭園の池の端で、3人並んで昼食代わりに、サンドウィッチを食べていた時、バサッという音がしたと思ったら、私の持っていたサンドウィッチが瞬間的に背後から鳥に攫われた。その鳥が鳶(トビ)であることは、其の後判った事だが瞬間的に何が起こったのか判らなかった。気が付いて見たら池の端に立て札が立っていて「鳶に注意」とあったが、もう少し大きく書いてなければ、そんな事情を知らない大方の人には気が付かない程の大きさで、矢張りこんな事が今までも何回も起こっていたのだろう。3人の内で狙われたのは偶々私だけだったが、幸い怪我が無くて良かった。鳶も技術不足で折角取ったサンドウィッチを私の前方数mの所に落として行ってしまった。

「とんびに油揚」とはよく言われるが、「とんびにサンドウィッチ」は、始めてで、世の中世知辛くなったものと思った。

     写真は称名寺と浄土庭園(2003/11/14撮)

syoumyouji

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2005年5月16日 (月)

下栗(しもぐり)の里

 三遠南信(三河、遠州、南信濃)歴史研究会一行20数名で、5月15日、南信州の上村(かみむら)の遠山郷・下栗の里へ行って来た。上村を土地人は一名「神村」とも呼んでいる。高所にあって限りなく天に近く又、「上(かみ)=神(かみ)」と引っ掛けたものだろう。

南信州・遠山郷の上村には霜月祭等の重要無形文化財や「日本のチロル」と言われる、下栗の里、それから更に1000m上がった所にある、「しらびそ高原」等は、気候の良い時には観光客が訪れる。その上村も南信濃村と共に飯田市に合併され、一方、静岡県水窪町まで合併する浜松市と、飯田市が隣り合わせになる事になる。

上村には重要民俗文化財指定の「霜月祭」等の固有文化があり、この地に限らず、心ある人からは、平成の大合併に伴って、その地の固有文化が失われる危険性を心配する声が上がっている。

「遠山郷下栗の里を日本のチロルと命名す、東京学芸大学教授 市川健夫」という碑の立っている下栗の里は、標高1000mの山肌にへばりつく集落。平家の裔という説も有るが定かではない。70数戸の家が最大斜度35度の畑を耕している。下から上に向かって耕すと、土が下に落ちてしまうので、この地独特の長い柄の鍬を使って、上から下に向かって耕している。こんなにまでして何故という気もするが、この土地の人はこの地をこよなく愛し、最近では若者にも回帰現象が出始めている言う。このような文化や風景に接すると、特殊法人などに巣くって、税金を無駄使いしている連中のいることに無性に腹が立つ。

上村のパンフレットによると、「日本の原風景を今に残し、神の恵みを受け続ける里、下栗。この集落は、太陽が足下から昇ると表現されている。眼前には南アルプスの山々を望め、百名山で名高い聖岳・光岳が手に取るようだ。急斜面に広がる耕地は、お茶をはじめ、蕎麦・二度芋・コンニャク・雑穀類が栽培され、まさに「耕して天に至る」の光景である」と、ある。

二度芋もコンニャクも蕎麦も本当に美味しかった。此処からの夕日の眺めは日本でも有数の眺めと言う。今回は天候は薄曇だったものの、遥かの山々まで見渡せて素晴らしい光景だった。そして村人たちの働く姿に胸を打たれた。

この下栗の里から、約1000m上がった「しらびそ高原」は標高2000m。途中には、日本初の隕石クレーターと言われる「御池山クレーター」が望める。高原からの南アルプスの山々を望む大パノラマは声をのむほどだ(数年前に、その風景を目の当たりにした)。生憎、今回は濃い霧の為、視界30mでは致しかたないが、今回の研究会の主目的は、下栗の里 に有ったので、しらびそ高原の眺望不良は、そう思って諦める外はない。深い感動と素晴らしい風景に接する訪問だった。ご案内頂いた上村役場の観光担当の課長さんにもお礼を申し上げる。

     写真は「下栗の里」の一風景

20050515

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2005年5月 3日 (火)

ウォーキング

健康管理の一環として、毎日歩くようになってから既に20数年になる。朝の早いのが苦手な私は、現役時代は会社から帰ってから、又一線を退いてからは午後の適当な時間を選んで歩いている。

20数年前はジョッギング全盛時代で、或る年齢の人までジョッギングしていた。しかし私はジョッギングには、ある種の疑念を持っていた。それで自分なりに考え、且つ高年齢まで続ける事を前提に歩く事にした。雨天を除いて今も続けているが流石に当初よりは多少、歩速ペースが落ちて来ているのはやむを得ない。歩くコースは専ら平地。

2004年早々、旧友から佐藤嘉尚著「歩々清風、金子智一伝」(平凡社)なる書を紹介され、世の中にはスケールの並外れて大きい立派な人がいるものと感動した。ウォーキング・クラブやユース・ホステル誕生の生みの親だけでなく、インドネシア独立の実質上の原動力になった金子氏の話である。常に夢・理念を持ち続け、難関を切り開いてゆく、金子氏の並外れた行動力に圧倒され、胸を揺さぶられる感動を覚えた。その金子氏が残した遺産の一つがウォーキングクラブ。此れに力を得て、これからも私はウォーキングを続けてゆこうと思っている。

私がウォーキングを始めた当時は、ウォーキングの為に歩いている人は殆ど居なかったが、最近は老いも若きも盛んに歩いていて、町は遊歩道を整備し直すなどして、更に歩きやすくなった。只、最近は犬連れの中年女性が多くなり、本来ならば人間の為の遊歩道を数人の女性が一列横隊で道一杯に広がり、しかも声高に喋りながら歩いて来るのが目立ち始めた。少し足の悪い、ご老人などは、そんなのに出会うと、横へ避けて、お犬様と女性共を通してから歩くのが目に付く。もう少し謙虚に他人に迷惑をかけない位のマナーは持って貰いたいものと思っている。

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