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2005年4月30日 (土)

メキシコ

4月28日のNHK「世界遺産」の番組で、メキシコの、太陽のピラミッド、月のピラミッドの紹介があった。私は所用で途中で出かけたので最後までは見ていない。

私がメキシコへ、E製品立ち上げの打ち合わせと、技術指導に出発したのは、昭和47(1972)年4月19日(水)。バンクーバー経由メキシコシティー行きのフライトだった。現地駐在員には酒豪が揃っていたので日本酒を引っさげて行った。

5日間の滞在の内、日曜日を除く4日間は専ら仕事。その間は、業務の合間に又は通勤途上にインスルヘンテス大通りや、パリのシャンゼリゼ通りを模して造られたといわれる、レフォルマ大通り又は1910年に独立100周年を記念して造った独立記念塔などを見学した。

そして日曜日の1日は、テオティワカンの太陽のピラミッド、月のピラミッドを案内して頂いた。太陽のピラミッドへ上ったのが特に記憶に残っている。そのあと皆でバーベキューを楽しんだ。

その途上に散見したのは、現地人の貧富の差。車間を縫って車に物を売る人達。又壁画と近代建築で知られる大学都市。そして大サボテン群。

ピラミッドに纏わる話は色々有るが、要は神々の信仰と深く結びついている。神の依代という考えは日本にも昔からあり、特に山岳信仰は役行者(えんのぎょうじゃ)が説いてからは定着した。只、今は山が心ない輩に荒らされているのが心配だ。

メキシコでの食経験は、水は生水は避けてミネラルウォーターだけ、食べ物ではチレ(或いはチーレ)、アルコールはテキーラ、そしてアラメダ公園での屋外ディナーは流石にメキシコ。マリアッチを聞きながら、4時間はたっぷりかけて楽しんだのが印象的だった。矢張り此処はアスタマニャーナの国と変な所に感心した。

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pyramid_named_sun

上:月のピラミッド

左:太陽のピラミッド

                                    

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十二単(じゅうにひとえ)

狭庭の隅に今年も十二単が咲いた。花の姿を平安朝の女官の装束に見立てて付けられたというが、何時の頃からかは定かではない。

此の花が咲くと夏がやってくる。色々の事の起こる世の中だが、時には楚々とした花を愛でるゆとりも持ちたいものと思っている。

20050427

           狭庭の隅の十二単

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2005年4月24日 (日)

思い出のスチュワーデス

私が始めて海外出張をしたのは昭和38(1963)年の夏。1ケ月に渉る欧米の技術視察だった。当時はパスポートの申請・受領は外務省まで行かねばならない時代で、海外で日本人と出会う機会は殆ど皆無に近かった。

出発は、1963年8月10日(土)、羽田発11.15AMのパリ行きの南回り。乗機はエールフランス187便、ボーイング707(或いはDC-8だったかも)。羽田より、マニラ、サイゴン(現ホー・チミン)、バンコック、カラチ、テヘラン、アテネ経由パリだった。今から考えると気の遠くなるような長旅だった。このフライトは日本航空とタイアップして運行していたのでフランスのスチュワーデス(今はフライト・アッテンダントと言う)の他に日本人のスチュワーデスが一人便乗勤務し、機内アナウンスもフランス語と日本語の両方だった。乗客は私を含めて10数人と言う小人数で、日本人スチュワーデスは途中で和服や洋服に着替えてサービスに勤めていた。そんな事情だったので、彼女は日本人である私の席の横に時々座っては、身の上話までしてくれたので、お陰で私は初の海外出張にも関わらず、随分緊張をほぐして頂いた。その時の彼女の氏名等を確認しておかなかった事を後悔している。今お元気でいらっしゃったら当時の思い出話等したいものと思っている。

所で、つい最近ひょっとした事から、1998年4月にフライト人生40年の勤務を終え、60歳の定年で日航を定年退職した「永島玉枝さん」と言う方がいらっしゃる事を知った。この年齢からすると私が出張した1963年の時は25歳だった筈で、私とお話してくれた方と極めて近い。彼女は日本人女性初のフライト時間2万5020時間、主に国際線を担当して、日航初の管理職乗務員として活躍し、最近その関係の本を読売新聞社から出していると聞いた。若し彼女が私のお会いした、あの時のスチュワーデスであったら、ぜひお会いして話をしたいものと思っている(その著書はまだ読んでいないし、JALへの問い合わせ等は今のところ未済)。

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2005年4月21日 (木)

新幹線の踏切

新幹線にも踏切があると言ったら、そんな馬鹿なと言われそうだが、事実あるのは確か。

4月21日の日経新聞で伊藤博康氏が紹介している。私も前に所用で其処へ行った時に見ている。その時は新幹線の踏切というイメージはなかったが、言われてみると確かにその通りだ。場所はJR東海浜松工場への引込み線にあり、新幹線唯一の踏切だそうだ。同工場は新幹線の検査や補修を行っている工場と聞く。

同氏によれば、日本は外国に比べてずば抜けて踏切が多いという。それは鉄道網の発展の歴史的過程にも拠るというが、この前の東武鉄道での踏切事故等はそんな背景がある事を再認識して、人間に優しい対策を基本的に見直す必要がある。     

           

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2005年4月20日 (水)

暮らしと季語

NHK俳句4月号に、茨木和生氏の「季語の現場に立って」と言う記事が掲載されている。興味が湧いたので読んでみた。季語に就いて色々と解説されていて楽しい読み物だが、その締めくくりに、

   雪解川名山けづる響かな (前田普羅) 

の名句を取り上げ、こんな勢いのある大きな自然詠もありますが、

   ブランデー楽しんでゐる雪解かな (井村経郷)

といった暮らしと関わった新鮮な作品もあります。と、述べられている。こんな自由奔放で、新鮮な作品の読めるのも楽しい。   

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2005年4月19日 (火)

豊川の桜

カタクリの花を見に行く心算で家を出た。途中知人の俳人宅に一寸寄って見たら、それよりは日本一の桜があるから、それを見てきたらと薦められ、心変わりして、豊川の桜を見てきた。4月15日のこと。行って見て驚いた。確かに(吉野の花は別として)豪華な桜のトンネルが延々と続いている。それも1ケ所だけでなく何ケ所もあり、木も太く大きく風格が備わっていて、成る程彼が日本一と言う程の事がある。只残念だったのは既に散り花で一面花吹雪だった。

その内の1ケ所は陸上自衛隊の駐屯地近くで、匍匐訓練が花吹雪の中で行われていた。

桜蘂降る自衛隊駐屯地

sakura_in_toyokawa

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2005年4月18日 (月)

俳句に適した人

処分したと思っていた新聞のスクラップが出てきた。その中に興味深い記事があったのでご紹介します。

文芸評論家の向井敏氏の「一級品と二級品との差」という一文の中から、タイトルに相当する所を抜粋する。これは2000/11/26付けの新聞に掲載されたもの。

「何事にも適不適というか、性の合う人と合わない人がいるものだが、俳句に適した人というのは、いったいどんな人なのだろう。飯田龍太は随筆集『遠い日のこと』(1997、角川書店)に収める「俳句実作のために」という文章で、その問いにこう答えた。自分に俳句の適性が有るかどうかを知りたければ、歳時記をひもといてみることだ、と。そのなかの無数の季語や季題に、なんの興味や関心も湧かない人は、まず、俳句と縁のない人と考えていいように思います。しかし、例えば、夜の秋とか、竹の秋とか、初東風(こち)、白南風(はえ)、黒南風などというさまざまな風の呼称、乃至は、鰤起しとか雁渡しなどという言葉を見出して、なるほど面白いな、と興を覚える人なら俳句の適性ありと考えて宜しいのではないか」

とある。さてあなたの適性はいかが。

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2005年4月13日 (水)

都田川

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細江の山上より、浜名湖へ注ぐ都田川を俯瞰する

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馬籠宿

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藤村ゆかりの馬籠と妻籠へ行って来ました。

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