2017年4月30日 (日)

花咲き花はうつろいて

花咲き花は移ろいて、
Photo_6 Photo_7

こんな子供の頃もあったんだ(上右)
それに花筏、常盤まんさく
いいなあ花は
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2017年3月30日 (木)

今年もまた白木蓮

毎年、卒業式が近付くと木蓮通りに白木蓮が咲く。
今年も咲いた。毎年の花だが想いは段々深くなる。Photo_2

今まで何度か木蓮に寄せる想いを書いてきた。
   2006/02/17 木蓮通り
       2006/03/08 続、木蓮通り
       2007/02/28 歳々年々
       2009/02/25 続、歳々年々
       2011/03/16 再度、木蓮通り
       2012/03/19 年々歳々
       2013/03/27 続、年々歳々
       2014/03/30 今年も咲いた
   2015/04/30 次々に花が咲いた
       2016/03/11 或る葉書に託して
のように年々歳々、白木蓮を見る度に想いは深化してきた。

  来年の桜を思ふ齢かな  野坂民子

想いは同じである。

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2017年2月28日 (火)

立金花

「吟行に行きませんか」と句友に誘われ重い腰を上げた。

中々みんなの都合の良い時が合わなくて結局2月15日になった。枝垂梅には少し早いそうだが行く先は、私には始めての場所で掛川城を南方に臨む丘陵地帯で丘の裾には小流れもある。

枝垂梅は矢張り3部か4部咲きだったがそれでも結構綺麗で来た甲斐があった。Photo

こんなに集まって咲いている枝垂梅を見たのは始めてだった。空は極みなく碧く其の碧の中に花が融けこむ様だった。
枝が風のまにまに動くと空が動いているように見える。
段差の小さい階段を上ったり下ったりしながら梅園内をそろりそろりと歩く。梅の根元には黄色い可憐な小さい花が咲いている。

帰る時、其の可憐な花の鉢を買ってきて庭に下ろした。
花の名前は「立金花(りゅうきんか)」と言うそうである。

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2017年1月22日 (日)

海坂創刊850号記念号

俳誌「海坂(うなさか)」が創刊850号を迎えた。
Photo_2 本ブログでも過去に、

海坂創刊750号記念号
海坂創刊800号記念号

を紹介したが今回は更に850号の紹介となる。
由来に就いては上記750号、800号に詳しいが、更に850号までの経緯を書き加えている。
本850号に就いては『海坂に帆をー「海坂」850号を祝って』と題して、松平和久氏の一文がある。文中の一部を引用する。

『850号、気の遠くなるような話である。
昭和25年創刊当時の「海坂」を10冊ほど見た。20~28ページの薄い冊子。選者や筆頭同人らの句を除くと、活字は8ポ・7ポ・6ポである。しかしその小さなものは無限のエネルギーを蔵していて、「海坂」は今を迎えた。すぐれた指導者がいて、労を惜しまぬ幹部がいて、なによりも俳句の好きな人々がそれを囲んでいたにせよ、850号、気の遠くなるような話である。ただただ祝意を示すのみ。云々』とある。

当然のことながら、海坂850号を迎えてと題して鈴木裕之主宰・久留米脩二主宰の挨拶があり、加えて
「魅惑の俳人羽公と瓜人(鈴木裕之主宰)」
「遠州の俳人展・加藤雪腸師と百合山羽公師(和田孝子筆頭同人)」
「海坂と藤沢周平(鈴木裕之主宰)」の特集記事があり、加えて800号と同じく
誌友の「随想」欄には前回を上回る多数の誌友から「海坂に寄せる想い」が綴られていて圧巻である。

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2016年12月26日 (月)

冬紅葉

庭隅の楓の葉が光に透けて美しい。

毎年見ている筈なのに今年の冬紅葉は特に美しい。

Img_6842 同じ木を見ても見る方向、見る時間帯によって様相が全く違う。木々も人々に見てもらいたいと思っている時と方向を語り掛けているに違いない。

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2016年11月26日 (土)

行く秋

同じ想いを端的に表現した俳句がある。

行く春や旅を恋ひつつ家居して  三村純也

何時もそんな思いで気候のよい旅をしず仕舞いだった。
今年もその繰り返しになった。ただ秋の仕舞いの一日を行きつけの場所で秋を惜しんできた。
Photo 紅葉ももう終りで落葉で地面が染まっていた。
時々鳥が鳴き、風が吹くと又残り少ない葉を降らせていた。

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2016年10月29日 (土)

時が来ると

時が来ると知らないでいても花は咲いてくれる。

Img_6762_2 今年は金木犀は例年より10日ほど遅れて咲いた。芳香が漂っていて気がついた。
Img_6765 そして石蕗(つわ)の花が咲き出した。
四季の移ろいは人が気づかなくても確かに人に知らせてくれる。

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2016年9月30日 (金)

原人句碑

浜名湖の最北端に猪鼻湖と呼ばれる、猪鼻瀬戸によって区切られた湖がある。その北岸一帯は三ケ日町と呼ばれる地帯でその中に只木地区と呼ばれる地区がある。

『その只木地区の採石場で、昭和33年秋に赤土の中から多くの獣骨化石が発見されて、専門家の鑑定結果、洪積世のものであると云う判定が為された。
そして又、三ケ日高校に保管されていた人類の腰骨数片なども見つけられた。

以来重なる調査結果、人骨発見は日本の旧石器文化の確認となったばかりでなく、当時の日本人の生活状況等を解明する貴重な資料ともなり学会に与えた影響、貢献は大なるものがあった。(俳誌「海坂」より)』

爾来色々の経緯があって、この場所に、俳誌「海坂」の主宰であり蛇笏賞作家である百合山羽公氏(百合山氏は同じく蛇笏賞作家の相生垣瓜人氏と海坂の共同主宰だった)の句碑が建てられた。「原人句碑」と呼ばれる。

原人の歯牙凍蝶となりにけり 羽公

A_2原人の歯牙が凍蝶となったという幻想がここに案内された時の荒涼とした印象から生まれた。(俳人協会刊 百合山羽公集より)』

と句碑の傍らの説明書に記されている。

又、句碑に就いて浜松市の説明書きには、
『この碑は平成5年3月に三ヶ日町教育委員会(当時)により只木遺跡内に設置されたものです。
只木遺跡で発見された「三ケ日人骨」は、調査当時(昭和34~36年)の分析技術では洪積世(更新世)と判断されましたが、後年、分析技術・機器の進歩により、縄文時代早期のものであると結論付けられました。
三ケ日人骨の時代観は変りましたが、私たちの祖先の記録がこの地に刻まれていたことに変りはありません。
発掘調査や遺跡の保存・活用のために尽力されてきた地元を始め、多くのかたがたに感謝すると共に、郷土の歴史・誇りとして、後世に語り継いでいきます。平成26年12月 浜松市』と記されている。

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2016年8月31日 (水)

消えゆく平和の調べ

八月は六日九日十五日

などと言われて、太平洋戦争を経験した人にとって又、言い伝えられている戦禍に就いて聞いている人にとっても、あの六日、九日、十五日の各サイレンに合わせ黙祷する時は粛然と襟を正す。

8月終戦記念日の直前の8月13日に、中日新聞に「消えゆく平和の調べ」という記事が載った。内容は、ヤマハが開発した「ミュージックサイレン」に就いてである。

一部記事を引用すると『戦争直後、ヤマハ(浜松市)は人々の心を和ませようと名曲の優しいメロディーで時を告げる「ミュージックサイレン」を独自に開発した。平和な時代が訪れた事を伝える戦後復興の調べだったが、生産は18年前に終了し、今も残るのは全国でわずかに9台。修理の対応も今月末で終り、機械が故障すれば聴けなくなってしまう可能性が高い。戦争の記憶を刻む音色は、消滅の危機にある。』
とあって、ミュージックサイレン開発の由来とその役割に就いて詳細に記録されている。

浜松市は戦時中は、爆撃や艦砲射撃にあって壊滅状態に近かった。
それだけに戦後になっても、工場の始業や終業を知らせる戦時中と同じサイレン音は、(あの戦時中の米軍機の空襲、艦砲射撃の都度鳴らされた)、不気味な「警戒警報」や「空襲警報」のサイレンの音を思い出させた。

あの不気味な音を、サイレンの特質を生かして、美しい音曲を奏でるサイレンに出来ないかと「ヤマハ」の前身である「日本楽器製造」の当時の会長であった、故川上嘉市氏の発案で開発されたのが、このミュージックサイレンである。

名曲を奏でるミュージックサイレンの大きな音量は、ただに時を告げるに止まらずPR効果も抜群とあって、一市に1台という方針で販売されて北は北海道から南は沖縄までも据えられたと聞く。
今、時の移ろいと共に前述の中日新聞の記事のような経過を辿っているが、同記事の中に三重県伊賀市のサイレンの継続に就いての感動的な記事があり、ミュージックサイレン開発当時の関係者に多大な感動を齎している。

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2016年8月 2日 (火)

花火

俳人協会・俳句文学館発行、平成28年8月のカレンダーに、俳誌「馬醉木」名誉主宰である水原春郎氏の俳句が掲載されている。清水節子氏の解説文がある。

 天上に君あり地には大花火  水原春郎

2808_11_2   『「自註 ・水原春郎集」に所収。平成16年作。

「伊豆高原の花火大会。榮之君が元気の時はいつも一緒で楽しかった。天上から見ているに違いない」と作者の言葉が添えられている。「天上の君」は「馬醉木」德田千鶴子主宰のご夫君である。

 「天上に君あり」と言い切った勁い措辞には、作者の「天上の君」への深い思いが溢れている。
 「天上から見ているに違いない」と述べておられる作者は、花火の打ち揚がる瞬間、天上へ呼び掛けておられるのかもしれない。

 大空に開く花火を見上げておられる作者の胸臆には、「天上の君」と一緒に過ごした遠い日が去来しているのであろう。

 「天上に君あり」の心情的な表情に対し、「地には大花火」の大胆な結びが印象的で、心を惹かれる一句である。(清水 節子) 』


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