2017年12月 5日 (火)

返り花

俳人協会・俳句文学館発行の12月俳句カレンダーに鷹羽狩行氏の俳句が掲載されている。大瀬俄風氏の解説文がある。

 人の世に花を絶やさず返り花  鷹羽狩行

29121_2 『掲句について、作者は「(この句の返り花は)神の配慮というか、使命感をもってというか、むしろ誇らしげではありませんか」と、自著『俳句の秘法』の中で評されている。返り花を、小さく、寂しげなものと見るのではない。確かな意志を持ってそこに存在しているという新しいとらえ方をされている。しかも、説得力がある。

 ひるがえって思うに、私たちには、その返り花の姿が見えているだろうか。いや違う。そもそも私たちは、返り花を見ようとしているだろうか。コートの襟を立てて、視線を地面に落とし、せわしなく歩いている者に見えているはずがない。

 掲句が発表された平成7年には、年が改まってすぐ阪神・淡路大震災が起こり、2カ月後の地下鉄サリン事件で多くの被害者が出た。
 この返り花が咲いたのはそんな時だったのだ。私たちはじっと返り花を見つめて、その断固とした意志をしっかりと受け止めなければならない。(大瀨 俄風)』

 

この句は私にとっても忘れられない名句として、返り花が見られる季節にはきっと思い出す。

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2017年11月30日 (木)

故郷の山河

いつも長野へ行く時は、往路は浜松から名古屋へ東海道新幹線、そこからは中央線のL特急で長野へ行き、復路は長野新幹線で東京へ其処から浜松までは東海道新幹線を使っている。

往路で中央線を使うのは、専ら故郷の山々を始め田園風景等が楽しめる為。

復路の長野新幹線は、トンネルと遮蔽板にさえぎられ、浅間山を始めとする故郷の風景は瞬間景で物足らないが、瞬間でも見られるのが楽しみの一つ。Img_7172  東京からの列車からは、冠雪の富士山がよく見えた。

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2017年10月16日 (月)

落葉松黄葉

俳人協会・俳句文学館発行の10月俳句カレンダーに根岸善雄氏の俳句が掲載されている。ほんだゆき氏の解説が添えられている。

  月明に炎立つ落葉松黄葉かな 根岸善雄

2910_21_2 『絵画でも観ているような美しさに、息を呑むほどだ。
 
 落葉松黄葉は作者の詩世界を高揚させる。一糸の乱れもない完璧把握に落葉松黄葉の幻想的な光景が蘇る。掲句も愛憐の情を芯に秘めつつ画布に載せるような染筆で成されていて、読者の心を離さない。

 不用な景を削り去って表現簡潔。それだけに一層月明の落葉松が際立って美しい。
 

 一句を成すということは表現技術というより、その人の奥の奥にある生き方そのものである。 いのちとも繫がるもので作品からそんな声が聴こえてくる。
 

 行雲流水の心で一点の執着もなく俳句を詠んで行きたいと作者は吐露されている。
 

 俳句は「師系の文学」と言われる。水原秋櫻子一筋に研鑽を積まれた作者の美意識は、さらなる深淵へと誘われている。(ほんだゆき) 』

(註:「炎立つ」は「ほたつ」と読む)


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2017年10月13日 (金)

金木犀

仄かに良い匂いが漂っている。そうだ、金木犀だ。
Img_7155_3Img_7156_3   

夕日さすいみじき角度金木犀     林 翔  
木犀の香に光年の夜空あり    工藤義夫

なにかと慌しい世の中、時には金木犀の香にゆっくりと浸ろう。

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2017年9月 9日 (土)

活字函

 俳人協会・俳句文学館発行の俳句カレンダー9月号に木村里風子氏の俳句が載っている。
八染藍子氏の解説がある。

蟋蟀の跳ぶ名刺屋の活字函  木村里風子

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『一読してまず注目したのが「活字函」。

 これはすでに遠い過去のものになった活版印刷に用いられたもの。これを扱う名刺屋の店内には「蟋蟀」が跳ねているという。

 それだけで時代背景がおよそ分かるが、終戦で兵役を解かれ、間もなく、原爆で焦土と化した広島へ帰還したという作者の経歴に照らすと、情況が一層明らかになる。

 即ち、名刺屋の窓越しに、復興の緒についたばかりの焼野原が拡がっている。その景は当時十五、六歳だった私も記憶している。

 人生の再出発に当たり、名刺屋に足を運んだ若き日の作者の希望と不安が交錯した心境。それを象徴的に示す「活字函」。それに配する「蟋蟀」という季語の斡旋が実に見事である。

 広島の平和祈念の最も魁というべき作品として、胸に深く刻んでおきたい。(八染 藍子)』

 一読して「活字箱」と「時代背景」に惹かれた。


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2017年9月 4日 (月)

雑草のように

道を歩いていると、コンクリートの割れ目の針のような隙間から逞しく顔を出している雑草を見つけると嬉しくなる。褒めてやりたくなる。
Photo_2 いつも歩く道辺の、一軒の家の入り口に咲いている白い百合の花を見つけた。こんな所によくもまあ根を下ろしたものと其の逞しさに感心した。

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2017年7月25日 (火)

今朝(25日)座敷の網戸に油蝉が張り付いていた。

Photo_2 大方、生まれて間もなく、拠る木を間違えて人家の網戸にとまったのではないかと思った。内側から写真を撮っても動かない。暫くすると足が動いてわずかに移動を始めた。

家の外へ廻って背中から撮ろうと思ったらぱっと逃げた。そういえば眼は外側にあったから人間の近付くのに気づいて逃げたのだろう。
早く拠るべき木を見つけて鳴かないと短い一生が終ってしまう。

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2017年6月30日 (金)

茅の輪くぐり

今年も井伊谷宮の茅の輪を潜ってきた。

歳時記に拠ると「名越(なごし)の祓に用いる呪具で茅萱を束ねて大きな輪としたもの」とある。
20170630 「これを鳥居や社殿の前に立て、参詣の人々はこれを潜って、無病息災、厄除けの祓いとする。中世以降は宮中でも行った記録がある。小さく作ったものを首や手にかけることもあり、神社の茅の輪の一筋を抜いて来て、厄除けとするところもある」とも書かれている。

今年は生憎の小雨だったが傘をさすほどでもなかった。
茅の輪を潜る前に、形代(かたしろ)と呼ばれる薄い白紙を人の形に切ったものに、自分の名前を書き、息を吹きかけたり、体を撫でたりして、身の罪や穢れを移し、茅の輪を潜った後それを水に流す。

なんでもない行動だが、なにかそんな意味を噛みしめながらやると本当にすっきりするから不思議だ。
   あきらかに茅の輪くぐりし前と後  斉藤美規

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2017年6月10日 (土)

椎の花

俳人協会・俳句文学館発行、平成29年6月の俳句カレンダーに星野恒彦氏の句が載せられている。杉浦功一氏の解説がある。

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抜け来る杜に一礼椎の花  星野恒彦

 『森の中で椎の花は見えない。青白く湿った匂いからそれが咲いていると知る。そして森を出て振り返ったとき、樹冠の上に雲のように白く咲く花を改めて目にするのだ。
 
 「杜」の字は神社の森を表すので、「一礼」はその奥に鎮座する神への挨拶。椎は古代から鎮守の森として守られた自然林を成す樹種の一つだ。
 
 作者によれば、この句は明治神宮での印象に基づくという。明治神宮は実は自然林ではなく、それに近づけて育成された人工林である。確かにこの句の「抜け来る」に古代的信仰は感じない。
 
 古代人は神に深々と祈った後、森から畏まりつつまかり出ただろう。つまりここに詠まれたのは現代の都市生活の習慣である。ただしその「一礼」も今後いつまで残るだろうか。これは失われゆく習慣の記録かもしれない。(杉浦 功一) 』

 私の故郷は長野市に編入された昔の村だった。

 産土神社は犀川神社といって、文字通り犀川を前にした田園地帯であったが今は、長野市の住宅地帯になってしまったので、様相は一変してしまった。
 しかし特に秋の収穫時期が済んだ頃の神社の秋の大祭には、古式床しい神楽が出て、伝統を厳しく踏襲した獅子舞と祭笛、そして芸術的な花火が奉納され大勢の人達がお参りする。

 私たちの年代の人たちは今も産土神社崇拝の念は忘れない。

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2017年4月30日 (日)

花咲き花はうつろいて

花咲き花は移ろいて、
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こんな子供の頃もあったんだ(上右)
それに花筏、常盤まんさく
いいなあ花は
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